映画で観る子どもと社会


1回:平成20年12月号

映画で知る精神風土の差/裁判員制度導入を前に
       「12人の怒れる男」(米国映画)と「12人の優しい日本人」(日本映画)


はじめに
  いよいよ来年から裁判員制度が導入される。あらゆる面で前評判はよくないが、政府は断固実施する予定である。省は違うが「円周率を3にする」と、ほとんどの者が反対しても、実行するのがわが国の政府(平成15年〈2002〉)。幸いにもこれは実行して、ダメなことが本当に判って、3か月で強制力は消えたが、撤回はしていない。裁判制度もダメと最初から判っているのに導入する。この愚かさはなぜ?
 父性社会・民主主義・個人主義の最先端を走る米国では、「人口よりも弁護士が多い」と揶揄される訴訟社会で、裁判が国柄に合っている。そのような国に陪審員(裁判員)制度がある点をよく考えなければならない。自分がハンバーガーを買って食べて肥満になった、と店を告訴する国である。さすがにこれは敗訴したが、時々とんでもない判決で、訴えれば「得をする」社会だと妙に感心(寒心!)する。決して「善い/幸せ」だと私には思えないし、母性社会で「和を尊び」、集団主義のわが国で真似ても碌なことはない。わが国では、法律に則って父性的に行われるべき裁判でも、母性的に「改悛の情」「情状酌量」が重視されてきたのだから当然である。
 しかし、最近はわが国でもつまらない権利の主張や内部告発が多く、確実に日本人の美徳が消えていくと思う一方で、告発されても仕方がないと思えるような事も増えた事実に、更なる嘆きが出る。自国の善さが消え、他国の悪い面が幅を利かす社会の根本にあるものを鋭く見つめ、いつまでも欧米崇拝/劣等感の言動では国が滅びる、否、既に滅びつつある。国が滅んで子どもの幸せはない。
 母性社会の日本が明治維新後、常に手本にしてきた欧米は、 日本と根本的に異なった父性社会で、基本になるのは自然征服・動物文明である。対する日本は自然共存・植物文明。この違いを厳しく認識していないから、外交から子育て・教育など多くの場で混乱を引き起こす。これを最も判りやすく明快に教えてくれているのが、今回紹介する二つの映画である。米国産は昭和32年(1957)(作品が地味なので、日本公開は2年後の昭和34年)の『12人の怒れる男』で、日本産はそれに遅れること30年余りの平成3年(1991)の『12人の優しい日本人』。
 12人の怒れる男』
 今や古典的名作として評価の高い本作品は、本来テレビ劇で、舞台は陪審員が議論する部屋ただ一つというまさにテレビ向けの題材。映画でも前後に少し裁判所の風景が入るだけ。テレビ出身のシドニー・ルメットが華々しく映画監督としてデビューした作品。それ以降、彼は社会派として、数多くの作品を世に出し、代表的なのは警察の腐敗を暴いた『セルピコ』〈昭和48年(1973)〉や、TVの視聴率の愚かさを描いた『ネットワーク〈昭和51年(1976)〉がある。
 映画は米国の陪審員制度を肯定的に描き、父親殺しの疑いをかけられた少年の、ほぼ有罪と考えられている状況で、一人の陪審員が「有罪かもしれないが、少年を死刑にする以上、今少し皆で考えよう」という発言に始まる。画面の進行と現実の時間が同じという手法で、緊迫感を感じさせる演出。例えば397カットをすべて違ったアングルで撮るというような工夫が凝らされ、観る者を飽きさせない。
何度観てもその台詞の面白さは、脚本の教科書のような映画で、推理映画の面白さ。主演と制作を兼ねたのが名優ヘンリー・フォンダで、彼に最後まで対立するのが悪役専門のリー・J・コップ。その他の出演者はすべてわき役専門の芸達者ばかりの、いわば群像劇。また、白人のみが陪審員で、女性は入っていない。そのような時代であったことも、また興味深い。
 一人の男が例え孤独であっても、正義のために果敢に勇気をもって戦いぬく父性や民主主義の本質を高らかに謳い上げた作品で、米国が自信をもっていた時代の作品。日本の“戦後民主主義”とは根本的に異なるのも気付かなければいけない。公開当時、高校生だった私も大感激!劇的迫力と脚本の凄さは今も超一級品である。その年のキネマ旬報ベストテン第1位で、映画の出来もさることながら、主人公を通して、米国の民主主義や正義と誠実さも、評価を高くした。実際、米国は第二次世界大戦の勝利とその後の経済的一人勝ちによる自信に溢れていた時代であったから当然。米国の自信が大きく揺らぎ始めるベトナム戦争への本格的介入は7年後である。
 しかし、少し斜めにこの映画を観れば、このようなずさんな捜査で起訴され、裁判で有罪となれば「尊属殺人」による死刑と言うのは、あまりにもいい加減な国であると背筋が寒くなるのも一方の事実。事件の目撃者とされる階下の老人と、向かいの中年女性の重要証言は、同時に検証しない矛盾もある。また、別の面から観ると、11人が反対しているものでも、弁舌さわやかに、理路整然と紳士的に説いていけば、有罪も無罪に、無罪も有罪にできていく危険性・怖さを教えてくれた。実際に平成6年(1994)の有名なシンプソン事件でこれは証明されている。

 当時、高校生の私は単純で、このような観かたはできなかったが、今はこの映画に現れたフォンダの正義こそ、米国が戦争をする時の正義だと考える。米西戦争から日米戦争、ベトナム戦争、イラク戦争のすべてに通じる米国側の正義である。だから映画でも米西戦争ではアラモの砦(多くの映画で扱われ、ジョン・ウエイン制作監督主演『アラモ』〈昭和35年(1960)〉が有名)で、まるでメキシコが悪いように描き、日米戦争では悪名高き『パールハーバー』〈平成13年(2001)〉を出すまでもない。
 『12人の優しい日本人』
 今や超売れっ子の三谷幸喜(自ら監督も務めた『ラヂオの時間』、最近では『笑いの大学』『THE 有頂天ホテル』『ザ・マジックアワー』)が、米国映画のパロディとして『12の優しい日本人』を書きおろしたのは平成2年(1990)。三谷が立ち上げた「東京サンシャインボーイズ」のための戯曲で、初演は三谷も出演していた。翌年、中原俊監督で映画化されたが、それほど話題にはならなかった。米国の「怒り」に対して「優しい」にしたのが、彼の天才的閃きによる。なぜなら、それから4年後の平成6年に、村山首相(当時)は、「優しい国になる」と発言する。世界の国々はすべて「強い国」になりたいと考えているので、これでは「弱い国になる」と発言したようなもので、これ以降、本当に弱い国になって近隣諸国の餌食とでも言える状態になってしまった。何しろ、近隣3国は「世界一強い国」になりたい願望が「世界一強い」のを忘れてはならない!村山は翌年、阪神大震災への無様な対応で、「自国民への優しさ」が皆無であるのを証明し、更に国会で先の大戦の謝罪決議を行うなど、国を弱体化する数々の失政を重ねたが、この「優しい発言」が始まり、と私は考えるが、多くの人は気付かない。戦後の日本人の思考を最も表している「表面的優しさ」を、三谷は「怒れる」に対比して使ったのに改めて感服する。
 閑話休題。こちらは無罪と思われる女性の夫殺しを、有罪にしたい男が一人いるという正反対の設定にし、登場人物は米国が男ばかりだが、こちらは女性もいる。それぞれがオリジナルの誰かに似ている部分もあるが、何しろ日本には陪審員制度など無かったので、架空の話になり、喜劇仕立てになっているが、内容は「笑って」すませられない。一般に「二番煎じ」や「パロディ」は本編を越えないのが普通だが、これは基本に米国の個人主義・民主主義の「怒り」に対して、集団主義・母性社会の表面的「優しさ」で受けて、実に面白く興味深い筋に仕上げた。
 私も最初は題名を聞いて、「安っぽい作品」と思ったが、その後の三谷作品の原典とも言うべき傑作である。音楽も『12人の怒れる男』がケニヨン・ホプキンス作曲による「けだるいニューヨークの蒸し暑さと一室に閉じ込められた12人のやり切れなさ」を表すような現代音楽風のものに対して、『12人の優しい日本人』は軽やかで明るいモーツアルトのピアノ曲を使っているという風に、あくまで対象的な工夫が凝らされている。その架空物語も来年から実際になる以上、わが国ではこの喜劇的様相を絶対に帯びるので、この作品は喜劇でありながら、悲劇的予測をしている凄さに改めて感心する。
 現在、裁判制度の理解を進める催しでは『12人の怒れる男』を上映しているようであるが、同時に本作品も上映し、日本人には向いていないことまで判らせるべき!と私は考えるのだが。昨年、私は自分の主催するセミナーでこの企画を実行し、大好評を得た。
 日本民族はとてもアングロサクソンが主導権をもって作り上げた現代世界に堂々と出ていける厳しさ(父性性/個人主義)を持たない。母性社会に住む気の良い日本人は、それを厳しく知った上で、世界と対峙しなければならない。「隣人(中国や韓国)の嫌うことを言わない」と言う前福田首相の妄言を含め、最近の首相のほとんどは、父性社会の何たるかが判っていない。判っていたのは明治維新直後から日露戦争までの重臣のみだから、子どもの未来に悲観的にならざるを得ない。
 なお、母性は母親がわが子を抱きしめ、母乳を飲ませるに姿に象徴される「包み込むような優しさ」を表し、父性はいつまでもその母親の腕の中で子どもが安住し、厳しい社会に出ていけないと困るので、母親の腕を切り、外へ放り出し、同時に子どもの能力を厳しく見極め、社会で自立できるように鍛える力もある。日本は自然共存社会で母性が支配し、西洋や中国などほとんどの国は、自然征服社会なので父性が支配する(今後、本欄では母性・父性は繰り返し述べていく予定である)。


2回:平成21年1月号

ダメ男と元気な女〜『女なみんな生きている』〈平成13年(2001)〉

 かなり以前から、女子にいじめられて不登校になる男子例が増えてきた。「戦後強くなったのは女と靴下」という言葉は、今や女性が強くなり過ぎて、改めて言う必要が無くなり、死語になっている。女性の強さは母子家庭への手厚い保護から、ついに女性専用車を創るところまで行き着いたが、父子家庭への援助や男性専用車は無いだけでなく、できそうにもない。私だけでなく小児科医の多くは、子どもの発達・成長を重視するので、父子家庭にこそ、もう少し「母性を与える」援助をすべきと考えているのだが・・・。誠に女性天国である、現代日本は!

 前回にも述べたように、日本は母性社会なので、基本的に女性が強い。男尊女卑の代表のような鹿児島県でも、幸せな家庭では女性が奥に控え(奥さんと呼ぶ)、亭主は表面的に奉られているだけだという。私はこれを猿回しと猿にたとえている。もちろん妻が猿回しで、亭主は猿である。家庭で偉いのは猿回し!いかに上手に猿を躍らせ、見物人からお金を多くもらうかが腕の見せ所。亭主を煽て奉って損はない。もちろん、上手に踊れない猿も、いたずらに猿にダメを連発する猿回しもいるので、この場合は破たんする。しかし、双方とも賢ければ、うまく家庭は機能し、社会も幸せになる。この機微が判らないと、昔は極端に苦労する女性が多くなり、現代はDV(夫や父親による横暴な暴力)に泣く母子や疎外されたパパが出る。
 私は男尊女卑を否定するが、ある意味で日本には必要悪な面もあったと考える時もある。そうでもしなければ、母性社会・日本の男は弱すぎ、この国は昔に滅んでいたかもしれないから・・・。最近、滅びつつあるようにみえるのは、女性が強くなったというよりも、男性が更に弱くなったからである。昨年の悪名高き北京オリンピックの結果もそれを証明していた。民主的なる掛け声で、男尊女卑が改善され、その上に豊かな生活が出現すると、弱い男はますますダメになる。
 もっとも男がダメになっていくのはアラブ世界を除き世界的傾向で、フランス人のエリック・ゼムールの『女になりたがる男たち』(新潮新書)が話題になった。豊かな社会は男性が自然に女性化していく。母性社会のわが国で父性が正常に機能したのは、明治維新直後から日露戦争までの、貧しく厳しい時代のみ。太平の江戸時代は武士道・家父長制、男尊女卑で、国が矜持を保てていたのでは?と考える。明治維新を経て、西洋列強が虎視眈々とわが国を狙う帝国主義時代に、当時の為政者が国のかじ取りを勇気をもってとれたのは、江戸時代に育ったからであったのを忘れてはならない。
 「貢(ミツグ)君/足ッシー君」と揶揄されていた男が今やパパ。家庭で「わが家では、子どもポケモン、パパのけもん」なる川柳の状態に陥った。昔の理想的父親は孤高を保ち、いざ!という時に登場した。死んでも「自分がのけものにされている」と泣きごとを言うような僻み根性は持たなかった。
 佐藤愛子は『愛子の新・女の格言』(新潮文庫)の冒頭に「女は強し、されど母は弱し」という名(迷)格言を載せている。もちろん、昔からある「女は弱し、されど母は強し」の言い替えである。昔は男尊女卑で、バカな男ほど威張り、不当に女をバカにし、こき使っていたから、女性の立場は弱かった。しかし、母親になると(特に姑になると!)子育てを始め、強さをみせた様子を言った格言である。佐藤はこの頃(と言ってもこのエッセイは30年弱前の昭和57年(1982)出版)、既に「女性は強くなる一方で、それに比例して、子どもに躾や教育をしっかりできない『甘い』母親が多くなった」のを嘆いたのである。平成も20年を経ると、モンスターペアレントが出現し、バカなママにそれ以上の馬鹿なパパが付き合って、バカの二乗になっていく。こうなれば、子どもの将来は真っ暗で、わが国の未来も真っ暗では?と妄想するが、妄想でないことを老人は祈るのみ!
 つまり「母なる大地」と言うように、昔から「生み育てる」母親はすべての基本で、それを認めて男は頑張らなくてはならないのに、現代は「女になりたがる」男が増加している。この現状を痛快に描いた映画がある。女になりたがる男の多いフランスで・・・

 『女はみんな生きている』〈平成13年(2001)〉
 共働きの忙しさからか、感情交流の乏しい惰性的生活をしている中年の夫婦が、ある夜、パーティーへ車で出かける途中に、暴力団に追われる一見して商売女と判る若い女性とほんの少し関わりそうになるのが話の始まり。面倒に関わりたくない「ジコチュウ」の夫と、かえって何か気になり関わっていく妻。こうして、特異な事件に女主人公が巻き込まれていく。
 商売女はアラブ系で、彼女の家族の徹底した男尊女卑とダメな男たちも描かれ、それに負けていないダメさを、西洋文化の本家を名乗りたいフランス人の、彼女の夫や息子も見せつける。父子で共に自分の親をないがしろにし、「その方面」だけに熱心なフランス男たち。現実に存在するらしい「高級売春婦を育てる暗黒組織」が物語の軸になりながら、日本にも通じる親子3代と夫婦の人間関係も巧みに組み込まれ、カオスの世界が展開していく。この映画の原題は「Chaos」で、誠に混沌とした世界が描かれる。カオスならほぼ日本語化したカタカナなので、邦題もそのままでよいのだが、わざわざ「女はみんな生きている」と日本語の、それも素敵な題名を付けた粋さ!最近にない快挙である。今もこのような映画の配給会社・宣伝部員がいるのは嬉しくなる。この映画は「カオス」でも「女はみんな生きている」でも、共に内容をよく表しているが、邦題の方がより適切かもしれない。最近は安易に原題をそのままカタカナにした洋画が多く、私ごときの語学力では、さっぱり意味の判らない時もあるが、実は判らない方が客の入りがよい、と洋画の配給会社の宣伝部員がテレビでしゃべっていた。日本映画でさえカタカナ題名が増加していく愚かさは救いようがない。何たる国になったと、ここでも私は怒り心頭である。祖国とは国語である(シオラン)。完全に日本人は祖国を失った。そのような国がこの過酷な世界情勢に生きていけるのか?繰り返す。子どもの未来は真っ暗である!
 映画に戻る。こうして幾つかの出来事が互いに関連をもち、荒唐無稽とまで言えないが、かなり奇想天外な筋立てが展開していく。このカオスが最後に見事に収斂され、大きな山場を迎え、ダメ男たちに愛想を尽かした、活き活きと「生きている」女性群が海辺でゆったりと夕陽を見ている静かな場面で終わる。つまらない男など要らないと言わんばかりに。そこに行き着くまでは、開巻から全編せわしなく、登場人物は男女ともに走り回るので、まるで登場する者全員が、今、注目されている「多動性障害か?」とまで思わせる。男は注意欠陥もありそうだが、女は注意も十分にある。監督の意図したことではないかもしれないが、私にはココまで、現代を見事に活写していると思われる。
 この痛快な映画はフェミニストで有名な女流監督コリーヌ・セローの作品。彼女は昭和22年(1947)生まれで、最初は役者だったと言う。『赤ちゃんに乾杯』〈昭和60年(1985年)〉で注目され、この作品は好評だったので、『18年後』も作られているが、私は本篇が彼女の最大傑作と考える。彼女のフェミニズムぶりは、舞台演出家と同棲し、共に違った相手との間にもうけた子どもと一緒に住んでいるという。当事者同士はお互いに了承していれば、他人がとやかく言うことはないが、私は子ども側に立つので、彼女らの思考や生き方を小児科医としては断固反対する。例えフランスであろうと・・・。家庭、子育て、教育は人間の基本的営みで、古いものに最大の価値を置くのが幸せ。
 彼女のような生き方を善しとする風潮が、1950年代の米国で盛んになり、ヒッピーに代表される、既存の価値観を否定する運動が、社会資本を失っていくと指摘したのは『歴史の終わりに』で有名になったフランシス・フクヤマの、その後に出版された『大崩壊の時代』(集英社)である。確かに、既存の価値観を否定するのは気持ちよい面があり、若者は当然のごとく喝采を叫ぶ。人生経験を経た中高年までが、そのようなものを肯定し、「物判りがよい」と若者受けを狙っていては、社会崩壊を来すのは当然あり、欧米型先進国ではまさにそのようになっている。わが国でも母子家庭の増加、モンスターペアレント出現、学級崩壊、不登校増加、荒れる学校、引きこもり、ニートなどなど、すべて社会資本が消失した結果であり、子どもは確実に不幸になっている。
 彼女は私の否定する思想の持ち主ではあるが、わが国の行き過ぎたフェミニズム論者のように、やたら男と女を対極に置いて、敵対関係に仕上げるのでなく、やや荒唐無稽ともとれる話に、現実的風俗を上手に絡ませ、女は活き活き、男は男のいやらしさしか出さないダメ男ばかりを、民族性まで加えて巧く描いた。このあたりは真のフェミニストの面目躍如である。もちろん、この映画を観て、「男よ!奮起せよ!」と私は叫びたい。実はこの作品を筆者が主宰するカリヨンセミナーの最終回で上映したら、観終わった女性参加者がため息を交えて「ああ、情けない!」と呟いたが、まったく、この映画への最大級の讃辞である。何と情けない男たちであり、しっかりした女性群であろうか!
 男は褌を締め直して出て来い!なぬ?「褌」が読めないし意味も判らない?嗚呼!合掌(もちろん、死んだ「男」に対しての合掌である)。


3回:平成21年2月号

日本人の戦争観を分析する〜『東京裁判』『プライドー運命の瞬間』そして『ニュールンベルグ裁判』〜

 現代の学校教育とそれで育った知識人の多くは、戦争が絶対に許せない悪で、時と場所によっては話題にするだけで、非難されかねない。憲法改正も第九条を中心に終始し、10年ぐらい前には憲法と言うだけ「反省が足りない」「軍国主義」とそしられる雰囲気さえあった。日下公人は「日本人は戦争を『道徳』で考え、『個人の良心のレベル』で答えを出そうとする。これはほとんど宗教である」(『人間はなぜ戦争をするのか』〈クレスト社〉)と言っているが、誠に至言である。「日本と言う新興宗教の教団」内で、教義に反対すれば袋叩きに遭って当然だから、昨年11月、田母神空幕長は更迭され、これまでも多くの閣僚が同じような受難を経験した。もちろん、彼らはもう少し発言の時と場所と役職を弁えるべきであったとは思うが、発言内容は正論ばかりである。しかし、鬼の首でも取ったかのように嬉々として伝える新聞があるように、わが国に本当の意味で言論の自由はない。

 ダチョウは危険が迫ると頭を土の中に入れ、それで安全と思うらしいが、日本人はダチョウと同じである。世界や歴史を何一つ適切に見ていない結果で、第1回で指摘した母性社会最大の欠点である。
 これほど世界の常識から程遠い考えを日本人に注入したのは、第二次世界大戦の敗北で、その後に行われた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判が完璧に仕上げた。同じ敗戦国でも、最初に負けたイタリアでは裁判さえ行われなった明らかな矛盾を、一番被害を被った日本で、誰も疑問にしない。私には理解できないことだが、多くの知識層はとりあえず「先の戦争は悪かった」と反省し、思考停止に陥る。偉そうな言い方を許していただければ、知識層は学校教育の優等生だから、誤った知識を学校教育で植えつけられると、それを鵜呑みにして、自ら考える知恵を働かせない。この戦争裁判を扱った代表的映画を3本取り上げ、世界で通用する知恵を付けて欲しい。
 
『東京裁判』〈昭和58年(1983)講談社〉
 『人間の条件』や『切腹』を撮った小林正樹監督が、米国の撮影したフィルムを編集した記録映画で、歴史好きには興味深く一気に観ることができる。4時間半に及ぶ大作で、身が入り過ぎて疲れるから、DVDで分けて観て、この裁判の虚偽性をじっくり考えて欲しい。
 ウエッブ裁判長の被告を侮辱する開廷の言葉から、既にこれは裁判でなく「有色人種蔑視」の白人が、裁判と詐称した「勝者の復讐劇」を興行したことを証明している。「優秀な白人」に「黄色いチビ猿(当時の欧米人の常識)」が無謀にも戦いを挑み、ある程度まで互角に戦い、一時的であれ、自分たちは植民地から追い出されたから、その屈辱は驕り高ぶった白人に耐え難いものであった。だから冒頭の裁判長の言葉が出る。この裁判はマッカーサーの命令・主導で始まったが、彼はフィリピンから日本軍に追い出されていたので、恨み骨髄であった。また、占領下で言論の自由が日本人には与えられていなかったことも重要である。
 この裁判最大の違法は、事後法(事件の後に法律を創り、それで裁くこと)で裁いた点にある。ドイツ(ナチ)の人種的偏見からユダヤ人の虐殺を裁くための「人道の罪」が新しくニュールンベルグ裁判で作られ、更に議論の多い「平和に対する罪」も作られた。事後法とは言いながら、ナチスのユダヤ人虐殺を人道の罪で裁くのは未だ許せるが、日本はそのようなことをまったくしていないので、南京“大虐殺”を米国がねつ造し、日本に罪を被せた。返す刀で、自分たちの原爆投下に免罪符を与えた。誠にアングロサクソンの狡猾さ。その後は共産中国がそれ以上に政治的に利用している。なお、平和の罪は平成3年(1985)にやっと正式発足した国際刑事裁判所ですら、結論を出せないままになっている概念であるから、とにかく根底が崩れる裁判である。
 更に検事が裁判官になり(ウエッブ)、裁判官はすべて戦勝国とその植民地の人間、日本側の証拠は信ぴょう性の高いものもほとんど却下、戦勝国のものは南京事件のように風聞でも採用、元満州国皇帝・溥儀をはじめ偽証は当然と、本物の裁判では絶対にしてはならないことを、「文明に挑戦した日本を裁く」と豪語した “文明国/民主主義”を自認する国々が、平気で次々と行った。また、裁判は通訳付きであったが、米国に不利な内容の時(原爆投下)には通訳が中断させられもしたが、それすら言論統制で報道されなかった。下品な言い方になるが、いわば「やりたい放題」を、裁判と偽ったのである。
 日本人の被告に米国人の弁護士が付いたのを、「民主主義の米国」と感心する愚見が、当時も今もあるが、彼らの弁護そのものは立派だったが、裁判がもつ本質的欺瞞は覆せない。なお、この「復讐劇」を取り仕切ったマッカーサー、ウエッブ裁判長、キーナン首席検事が揃いもそろって、この興行の不当性を、一時の興奮から覚めると、反省表明したのは、流石にアングロサクソンと感心するが、被害者である情緒的日本人は、この事実を知らないし、知ろうともしない。これは無知とかお人よしとか言って笑っておれない喜劇である。国際法の権威は裁判中から、この裁判を認めていなかった。
 とにもかくにも、60数年間も、政府はもちろん大手新聞を代表に、知識人は「東京裁判史観」を信じきっている姿は恐ろしくも悲しい。
 なお、この記録映画で南京“大虐殺”のみ、米国の宣伝映画を使って、まるで記録映画を思わせる解説が付いている。小林ともあろう人がきっちり裁判記録とフィルムを検証して、どうして南京事件に取り組まなかったのであろうかと疑問ももつが、知識人で反戦映画の大作を撮った人だからであろうか?あるいは、この部分に宣伝映画を使って、「虚」であると謎解きをさせようとしたのか?
 『プライド―運命の時』〈平成10年(1998)東映〉
 この劇映画は先の東京裁判に東条が只一人闘いを挑んだという視点から、できる限り史実に沿って、誠実に彼の日本人としての誇りを描いた力作である。これを『プライド』としたのはこの映画の「玉に瑕」。なぜ題名を『誇り』『名誉』としなかったのか?このような映画にまでもカタカナ英語が跋扈する日本。嗚呼!
 東条に扮した津川雅彦は、前記の記録映画などを参考に東条を研究し、自ら学校で習った歴史観を反省し、自信をもって「誇り高く」東条を演じた。この作品で特筆すべきは、製作発表がなされるやいなや、「戦争美化/時代錯誤/右翼だ!」と左翼陣営や山田洋次ら“良識を看板にする”人々が反対の声を挙げた点である。そして、彼らは製作中止を叫んだ。百歩譲って東条英機が極悪非道の悪人としても、かつて「悪人が主人公だから映画を作るな!」というようなことが、民主的な国で行われただろうか?映画は聖人君子のみを主人公にするものなのか?このような基本的なことも無視し、気に入らないものは感情的に反対し阻止しようとするのは誠に母性社会である。議論は別れるにしても、少なくともわが国の元首相を描く映画の製作中止を叫び、出演する俳優に脅迫状を送りつけるのは、彼らが常日頃叫ぶ言論・表現の自由を侵している。反対する自由も権利もあるのが本当の民主主義であるが、自分たちと相容れないものに圧力を加え、許さないと断罪するのは、日頃「民主的を主張する人権・平和を訴える人々や団体」の特質である。
 戦前は軍に批判的だと直ぐに「赤(左翼)」と睨まれ、敗戦後は先の戦争を反省し謝罪しないと「右翼」とレッテルを貼られる。日本では少数の厳しい「異見」が否定され、これは戦前・中・後、まったく変わらないように、思想的全体主義こそ母性社会・日本がもつ負の特質である。この映画が地上波テレビで放映されないのも同じ理由によっている。 
 『ニュールンベルグ裁判』〈昭和61年(1956)日本公開は翌年〉
 映画は廃墟と化したニュールンベルグに、米国の田舎判事スペンサー・トレーシーが赴任してくる場面から始まる。この恐らく貧乏くじを引いた、しかし、米国人らしい老弁護士が、戦争中のナチの人種差別に加担した裁判を行ったドイツ人判事を裁いていく。もちろん実際にあった裁判で、映画も記録映画的描き方をし、トレーシーが泊まる家の持ち主である元軍人の未亡人(マレーネ・デートリッヒ)との交流を描く以外は、ほとんど裁判所内で進行する。この裁判は戦争犯罪人でなく、先の「人道の罪」を適用したナチの人種差別に協力した司法の指導者を裁く二級裁判で、戦争裁判ではない!被告で最も有名な世界的法学者のヤニング判事は、当初ローレンス・オリビエを予定したらしく、バート・ランカスターでは少々野性味が邪魔をするが、ほとんど発言しない難しい役を力演している。戦勝国側からみた一級の戦争犯罪人を裁く戦争裁判ではないので、実際にもあまり関心が払われなかったものらしく、映画化に当たって、俳優で魅せる作戦をスタンリー・クレイマー監督はとった。ドイツ側弁護士がマクシミリアン・シェル、米国側検事はリチャード・ウイドマーク、証人にはモンゴメリー・クリフト、ジュディー・ガーランドなど豪華出演者を揃えた。私には俳優の名演だけでなく、ドイツの、しかも戦争裁判でないので身につまされずに「劇映画」として楽しめた。

 裁判中にベルリン封鎖が始まり、既に裁判に政治的圧力が掛かり始めるが、トレーシー判事は筋を通して判決を下す。そして、最後の字幕で彼の正義(東京裁判と性格が異なるので、私は正義を一応は認める)が無視され、刑の執行が軽くなったと知らされる。勝者による裁判の性格がよく表されている。これも必見の名画である。


4回:平成21年3月号

エディプスコンプレックスと阿闍世コンプレックス
      〜イタリア映画『アポロンの地獄』と『続・男はつらいよ』〜

 精神分析で有名なフロイドは、子どもが成長する過程での精神的葛藤として「エディプスコンプレックス」なる理論を提示した。あまりにも有名な論で、素になったのがギリシャ悲劇、ソフィクレス作『エディプス王』。今回はこれを映画化したイタリア映画を中心に述べる。
 「父親を殺すようになる」と神託を受けたので、エディプスは幼児期に捨てられる。このため実の両親を知らないままに成長し、神託どおり自分の父(王)を殺し、自分の母(王妃)と結ばれる。息子と通じたことを知った母は自害し、王となったエディプスも事実を知り、自分の目を潰し、放浪の旅に出る。この物語に登場した三人は二人が死に、一人も盲人になり放浪の旅に出るという、救いようのない悲劇である。社会には絶対的に守らなければならない掟があり、これを破って罪を犯した者は「罰せられ、罪の償いをさせられる」という父性社会の基本が示される。
 フロイトはこの話を精神発達理論に採り入れ、男の子が両親にもつ複雑な思い、特に父親に対するものを重視して心的葛藤を説明した。男の子が「男性」を自覚し始める頃に、母親といつまでも「べったりした関係」を持続させたておくと、近親相姦に行き着くので、これを「人類の禁忌(taboo)」として、父親から「いつまでもこのような関係を続けることはだめである。もしも自分の忠告を守らなければ、男根を切ってしまうぞ」という脅しが、子どもに与えられる。子どもは母親との密接な関係を続けたい願望と、父親が自分と母親との間に入り込み、母親を取る男になるので、これに敵意(殺意)を持つと共に、罰せられる不安(去勢不安と、罰せられることによる罪悪感という複合(コンプレックス)した気持ちが出る。ここでは社会の厳しい戒律や道徳の優先がしめされ、子どもに押しつけられていく。まさに父性社会である。
 『アポロンの地獄』〈昭和44年(1969)〉イタリア映画
 映画は短い序奏のような20世紀初めのギリシャが舞台。赤ちゃんが生まれ、育っていく途中から本編の古代ギリシャに移り、最後に短い現代が描かれる3部形式。本篇はソフィクレスの作品が忠実に描かれ、序奏と締めくくりは悲劇の前触れと終結を示している。実は封切り当時に観た時も、今回観直しても、私はこの映画の良さが判らない。しかし、子どもの成長に重大な心理機制の元になった物語を唯一映画化したものなので、あえて紹介する。
 この映画の監督バゾリーニは同性愛者である。私は同性愛の多くは、母親への想いが強すぎて、他の女性を愛せないから出現する、と思っている。30年近く前、日本が経済的に躍進している時期、欧米人はそれをやっかんで「日本の会社はホモ集団で、日本の男はホモだから会社人間になる」と揶揄していたが、私は妙に納得した。それは日本の母性社会は母子の結びつきが強いので、「擬似同性愛者」が多いからと、私なりの見解をもち、欧米からの指摘も、的をえていると考えたからである。確かに日本の親孝行と言われる男の中には、家庭で自立した夫や父親になれず、いつまでも精神的に自分の母親に依存して、妻と適切な夫婦関係を結べない「擬似同性愛者」が多い。娘の結婚に反対したり、落ち込んだりするのもコレによるというのが私見。
 特に、後妻に入った若い女性の夫が横暴な場合、男の子と母親の結びつきは強くなり、子どもが同性愛者になる例は多いように思われる。フロイトは娘(有名なアンナ・フロイト)がいたので、同性愛者ではなかったと思われるが、上記の条件が一部満足するので、このような理論を組み立てたというのが私の考え。映画大好きの淀川長治は「映画と結婚したから独身」と言っていたが、この条件をすべて満足していたのが真相である。だから、80歳を超えて、亡き母親を熱烈に思うエッセイを、週刊誌に恥ずかしくもなく書いていた。バゾリーニの生育歴を詳しく知らないが、父親に敵意をもっていたらしく、本映画は自伝的と語っていることから「同じような状況では?」と考える。
 私がこの映画の良さを理解できないのは、第一に私の健全性(平凡さ!)であるが、未だに思考に深みが足りない点もあるだろう。臨床を通じて、神経症を患う子どもの感受性の高さに感心すると同時に、物事を深くみる結果、彼らは常人が表面的にみることも深く見過ぎて悩み苦労している姿を痛々しく感じている。だから著明な精神学者や心理学者は、多くが神経症的で色々悩み、種々の論を樹立する。負け惜しみでなく、偉くならなくても、社会で健前な方が人生は幸せ。
 また、この映画の風景や登場人物が、モロッコで撮影されたせいか、ギリシャよりアフリカを思わせ、音楽は雅楽をはじめ民族的な音楽がモーツアルトの弦楽曲に混じって挿入され、更に手ぶれの画面が多く、私のような凡人の目や耳は混乱し、あらゆる点で監督の感性についていけない。しかし、封切られた年にはキネマ旬報のベストテン第一位になり、相前後して公開された同監督の『テオレマ』『奇跡の丘』も評価が高かった。評論家は私の理解できない部分を高く買うからであろうが、その後は完全に忘れ去られた作品になったのは、なぜ?
 なお、同じ題材をストラビンスキーが「Opera Oratorio(歌劇風聖譚曲)」という独自の形式で「エディプス王」作曲した。この異様な内容にストラビンスキー節はぴったりで、こちらは聴きごたえのある推薦作品。
 さて、このエディプスコンプレックスに対して、精神分析学者の古沢平作は日本人の根源的な心性として「阿闍世(アジャセ)コンプレックス」を唱えてウイーンのフロイトを訪ねて提出した。これは仏典から取られた話で、舞台はインド。ある王妃が自分の容姿の衰えから、夫である王の愛が無くなるのを恐れ、子どもを生むことで回避しようとする。予言者に相談すると、3年後に森に住む仙人が死んで、代わりに子どもを身ごもるという神託を受けるが、王妃はこの3年が待てず、仙人を殺し、早く子どもを持とうとし、期待通り妊娠する。しかし、途中で自分のしたことに罪悪感を持ち、流産しようと色々試みるが、結局、子ども(阿闍世)が生まれる。成人した阿闍世は自分の出生の秘密を知り、母親への幻滅から殺意を抱き、殺そうとするが、自分の行為に対する罪悪感で、流注(るちゅう)という悪病にかかる。悪臭のために誰も近づかなくなった阿闍世を看病したのは母親であり、そこで母子間の許し・許される気持ちが芽生える話である(その前に既に父親殺しが入っているが省略)。
 ここでは、母親に対する子どもの気持ちのコンプレックスが主題になる。母親は「父親の妻(女)」であるより、自分のことを第一に考えてくれる観音様のような理想的存在であって欲しいという子どもの思いと、それが裏切られた時の失望・恨み、更にはどのような自分をも許す母親への思いの複合である。日本で思春期に不登校や家庭内暴力を出す子どもが、母親に「なぜ自分を生んだのだ」と叫ぶのは、まさにこの心境で、ほとんどの例で出現する。
 古沢はフロイトに、西洋は「罰せられることで罪を意識」し、日本は「許されることで罪を意識」する大きな違いがあるとして、この論を提出した。父性的思考の罰せられるに対して、許しが主題になる母性的思考は、私にも共感しやすく、まして不登校児を診ていると、常に彼らの悩みの大きな部分を占める心情であると実感している。しかし、19世紀のウイーンに住むユダヤ人のフロイトには、理解できなかった考えで、そこには西洋人の東洋人に対する蔑視もあったと推測する。

 この話そのものは大映がわが国初の70mm大作として制作した『釈迦』<昭和36年(1961)>の中で、ほんの少し扱われているのみであるが、阿闍世コンプレックスの焼き直しが、物語や映画の主題として多く日本には登場する。まさに日本人の心性を表しているから当然であろう。最も有名なのは『瞼の母』(番場の忠太郎として有名な長谷川伸の戯曲)で、映画化は昔から多くなされ、『瞼の母』あるいは『番場の忠太郎』として幾つか発表されたが、最近は時代遅れと思われているのか、映画化はない。この説に光を当てた小此木啓吾(精神科医)は「娘がドリフターズのパロディしか知らない」と嘆いていたが、その時からでも現在は30年も経過した。米国の父性社会の悪い面のみ見習って、被虐待児がわが国にも増加する現代、黴の生えた話になっても仕方がない。しかし、母親を理想的に思う子どもが心理的挫折を母親にぶっつける態度をはじめとして、「許し、許される」思考は、今も母性社会の人間の根底にあり、日本人の琴線に触れる。だから、多くの物語・映画に形を変えて描かれる。
 48作が作られた国民的映画『男はつらいよ』の第2作『続・男はつらいよ』〈昭和44年(1969)〉も、あまり指摘されていないが、第二主題としてこの心性を扱っている。この回は寅さんが恩師・東野英治郎の娘・佐藤オリエに恋する話が主題であるが、寅さんが幼い頃に別れた母親を探す話も加わる。夢にみる理想的母親像を期待して寅がめぐり逢うのは、「連れ合い旅館(逆さクラゲ)」(現在は和製英語でラブホテルと呼ぶ)経営の強欲な母親(ミヤコ蝶々)である。寅の失望と和解は「瞼の母・現代版」で阿闍世コンプレックスの判りやすい主題を借用している。
 いずれ詳しく取り上げたいが、この阿闍世コンプレックスの変形は洋画でも扱われていると私は考えている。父性社会であっても、母子の絆や子どもの母親への思いの基本は同じで当然であろう。国としてみた場合、民族性が強く出るが、平凡な庶民は皆、古今東西、同じ心情をもち、それが映画という大衆的な媒体では大切になる、と考える。フロイトが阿闍世コンプレックスを理解しなかったのは、先に指摘したような点に加えて、彼の神経症的不健全性にあったからであろう。

第5回:平成21年4月号

祖国は国語 

   『ロード・トゥ・パーディション』この意味判る?

『国家の品格』で平成17年(2005)に一躍有名になった藤原正彦(数学学者)は、それに先立つ2年前に『祖国とは国語』という名著を出している。これはシオランの言った「私たちはある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ」に由来する。シオランは私は知識人としての自分の位置付けを最もよく表現できる国籍というものを持たない」という言葉にも表れているように、悲観主義と言われていた。東欧の複雑な歴史をもつ小国ルーマニアに生まれ、フランスに住み、第二次世界大戦(母国は当初ドイツ側、後に連合側、そしてソ連の占拠)を体験した悩みが、恐らく上記の言葉を残したのであろう。
 私は以前から藤原が理系の数学者ながら、国語の重要性を唱えていたので注目していた。彼は「小学校の勉強は一に国語、二に国語、三四が無くて、五に算数、後は十以下」と述べているが、現代の一般常識は「理系は優秀、文系は落ちる」となっている。その上、この頃は子どもの進路は勉強で決められ、「最もできる子どもは医学部」という「とんでもない考え」まで一般化した。医学部は理系であるが、臨床は人間臭い仕事で、一にも二にも国語が重要で、社会環境にも目を向けなければならないので、文系能力が大きく求められる。それが無いために、漫画好きで漢字も読めないと噂される首相から「医師はかなり常識が欠落している」と言われ、それに真顔で反論する。このような発言には「政治家と同じやデ〜」と笑って答えればよい。そして、自ら反省すべき点を反省する。それこそ文系能力と私はみる。発言を真顔になって撤回させるのは愚の骨頂で、これは医師に限らず、わが国の困った風潮。本当のことを閣僚が言うと、物事の本質を見ず、偽善に溢れるマスコミや市民団体が、直ぐに訂正や撤回を求めるので、腰の座っていない政府は発言者を更迭して終わらせる。大昔の「貧乏人は麦を食え」から最近の「日教組が悪い」「日本は侵略戦争をしていない」に至る発言は、すべて真実を突いているのに、有無を言わせず、公には否定される。これは大人になれない日本で、国語と祖国が滅ぶ姿が二重写しになる。にもかかわらず、私学の医学部では、国語が入学試験にない所もあり、最近では薬学部で化学が無い所、数Vも物理も不要な工学部まである!嗚呼!何処の分野でも日本は滅んで行く惨状。
 話しを戻す。人間が社会生活を送る上で最も必要な対人関係は、文系能力に大きく依るから、求められるのは理系能力ではない。藤原は難しい数学には国語的思考が必要とさえ言っている。最近、増加している広汎性発達障害は対人関係障害で、彼らの中に数学は得意だが、文章題になるとできなくなる者も多く、それを顕著に示している。
これらの現象から、最近のわが国で「国語(祖国)が滅びゆく」姿が浮かび上がるのは、敗戦後の米国の政策に乗った教育と、大阪弁で言う知識人に多い「ええかっこしい」がやたら米語を使い始め、その真似をしたがる庶民という構図が最大の要因とみる。シナ事変から続く長い戦争に疲労した後の敗戦で、虚脱・放心した国民は、米国の巧妙な占領政策、特に「物質的に豊かな」援助に眼がくらみ、思考停止を来した。そして「物資的に貧しい」わが国は、勝者が巧妙に仕掛けた精神的策略に、多くの者、特に知識人が騙された。「豊かな伝統と歴史をもつ」わが国を「せいぜい200年の歴史しかもたない」有色人種蔑視の米国が、言論統制下に行った蛮行である(2月号でも指摘)。これは国際法からも許されないものであったが、私は「負けたのだから仕方がない」と諦めている。問題は、独立を果たした昭和27年以降も、主に教育と大手マスコミがそれを“善いこと”として継承し、64年もたったことにある。こうなれば米国でなくわが国の問題。
最も端的に示す惨状は誰も指摘しないが「ママパパなる軽佻浮薄な響きの米語が、母国の立派な言葉を駆逐した現象」にある。これも大阪弁で言えば実感の出る「ええし」の家庭が、敗戦後に子どもにとって最も大切な存在である両親を、自分たちは「有象無象と違うんだ!」と言わんばかりに、戦勝国の重みの無い響きの言葉で置き換え、悦にいったことに起源がある。世界中で自国の言葉でなく親を呼ばせるような知識人の多い国は日本以外にはない。何ともはや情けない国民性であるが、それは島国根性の悪い面から発生するので、実は戦前にも芽があった。だから日本の問題だと私は強調する。更に付け加えれば、最近の親が子どもに尊敬されなくなった要因のひとつに、この軽佻浮薄な響きも一役買っている、というのが私見。言葉を大切にする「言霊の国」日本の伝統は、形骸化して結婚式での忌み言葉として残るのみ。嗚呼!
安保反対の大きな学生中心の運動が日本を巻き込んだ昭和35年(1960)、それに合わせたように左翼系独立プロで山本薩夫監督が『武器なき戦い』を制作した。昭和初期に最初の労働者階級を代表する代議士になり、右翼に暗殺された「ヤマセン」こと山本宣治を描いた映画で、労働者(庶民)の味方である彼が、家庭で子どもにママパパと呼ばせている様子が描かれる。彼は宇治の旅館の息子として恵まれた環境に生まれ、留学の経験からか、日本人学者の本質的にもつ欧米崇拝/劣等感からか、「自分は進歩的」という気持ちからか、いずれにしても当時は極めて珍しいママパパである。昭和初期で、労働者の味方を自認する者もこうであるから、敗戦後はそれこそママパパは燎原の火の如く広がり、今や母国語で親を呼ばせている家庭は極少数派になってしまった。ついでに言うと、先の名著を書いた藤原正彦の家庭でも、「ママパパ」と呼ばせているようである。熱烈な愛国心をもつ数少ない政治家・石原慎太郎も、一般人の理解できない横文字をよく入れるのは有名。このあたりが単純な頭の私には理解できない!私は國を愛するので、日本語を必死になって使っている!必死にならないと、直ぐにカタカナが出てくるから。
学問の世界では常に日本語をわざわざ横文字に替えたがる“エライ”先生が多く、巷では日本女性の最大の美である黒髪が、ほとんど茶髪金髪に代わり、コラボケーションやアストリートなど新たな言葉が年々登場してくる。だから、洋画の題はカタカナになって当然で、私ごときの語学力では内容も意味も判らないから、観たいと思わなくなって久しい。かつては文化の香りさえしていた洋画の邦題は「何処に?」と嘆いても年寄りの繰り言。元来、洋画の題名は原名の直訳と、日本人に判りやすいように、内容から原題とは異なった邦題を付けたものと、原語をそのまま片仮名で表す方法の3つがある。例えば「The Third Man」が『第三の男』〈昭和24年(1949年))に、『The Spirit of St.Louis』が『翼よ!あれが巴里の灯だ』〈昭和32年(1957年)〉に、『Die Hard』が『ダイ・ハード』〈昭和63年(1988年)〉の三形式。もちろん、前二者が望ましく、昔はほとんどがこれだったが、最近は第3の型が溢れている。映画は題名から「内容が判る」のが最良だと思うが、配給会社の宣伝員は「判らない題名の方が客は入る」と言うのを聴いて驚いた!高層縦長屋(マンション)は高級になるほど、舌の噛みそうな名前になる国だから仕方がない。何かカタカナで言う/交えると、内容空虚でもエラそうに聞こえると思う知識人が多いから、訳の判らないカタカナ題名で公開され当然か!邦題を考える手間もなく、観客が判らないほど入ってくれるのなら、何を苦労してまで・・になる。
 「日本は駄目だが、西欧は素晴らしい」と常に言っているノーベル賞作家で「嫌日」のOを代表に、知識人は欧米崇拝/劣等感が特に強く、それを真似たがる庶民の多いのも事実で、私見などまさに異見になる。意味の判らない片仮名が「素晴らしい」「ワンダフル/ブンダーバル/トレビアン/ムイビエン/ハラーショ」となるのは困ったことで、「国が滅ぶ」という私の声など、残念ながら犬の遠吠え。視聴率が最も大切な民放テレビでは、多くの人に見てもらいたいので、深夜以外はほとんどの洋画は吹き替えで放映されているのに、途中で挿入される広告は、横文字で喋っている珍事!これを情けないと言わずして何が情けないのか?と私はごまめの歯ぎしり!
 昨年逝去した名優ポール・ニューマンが最後に出演した『ロード・トゥ・パーディション』は平成15年のキネマ旬報ベストテン1位に輝く作品で、実に面白いが、この題名から直ぐに「破滅(地獄)への道(Road to Perdition)」と理解できる者が何人いただろうか?少なくとも私には何のことやらさっぱり判らなかった。Perditionは地名でもあり、更に意味が深くなるが、そこまで判らなくても、やはり日本語題名だったらと悔やまれる。映画は父性社会・米国らしく、いわば「父子の道行き」。先月号で述べた阿闍世コンプレックスの焼き直しが多い邦画では、絶対に扱えない題材で、父子の絆を義理と実の親子、できる子とできない子と種々の問題に絡めて、3世代の葛藤と結びつきを暗黒世界で寒々と描いていた。必見の名画と言ってもよいのだが・・・・
 しかし、これで驚いてはいけない!最近では邦画までがカタカナ、ローマ字の花盛り。『Always』『パッチギ』『クライマーズ・ハイ』。何と山本周五郎原作の時代劇まで『SABU』。軽い俳優と雑な美術では、軽いローマ字が似つかわしいとも言えるか・・・・観客も茶髪金髪でパパママだから「まあ、いいっか!」。
 かつて「6月1日」という原題では日本人には何やら判らないので『巴里祭』〈昭和7年(1932)〉と意訳し、それが今では日本でのこのお祭りの呼び名にまでなった。「Pepe-le-Moko(人名)」を『望郷』〈昭和11年(1936)〉と意訳した。先の『翼よ!あれが巴里の灯だ』も含めて、このような素晴らしい題名は、映画が文化の匂いを強ち、国語(祖国)が未だに健全であった時代のこと。原名を直訳しても、『風と共に去りぬ』〈昭和14年(1939年)〉のように、「去りぬ」としたところに注目しなければならない。『地上より永遠に』〈昭和28年(1953)〉も「ここよりとわに」と読ませる粋さで、このような例は古典的名作にはかなり多い。
 繰り返す。最近は原題をそのままカタカナで表すので、先にあげた名作『第三の男』にしても、さしずめ「ザ・サードマン」。これぐらいなら、私程度の英語力でも意味は判るが、あわてものなので、今度は「ガードマン」と間違えたかもしれない。何とかならないのだろうか・・・


6回:平成21年5月号

障害児を映画で考える

 発達障害ブーム(流行)である。このような言い方は不謹慎かもしれないが、世間では流行がしばしば起こり、常にある種の軽さが付きまとう。学問の世界も同じで、特に米国で何か言われ始めると、直ぐに学者・知識人が、右へ倣えで、「わが国にもある/わが国は遅れている」と叫び出す。阪神大震災後から急に言われ始めたPTSDを筆頭に、クリントン大統領で有名になったアダルトチルドレン(Adult Children :AC)や虐待児、多重人格障害、性同一性障害から、最近は子どものうつ病と目白押し。これらは確かに米国で急増しているようだが、わが国では実質的に少ないにも関わらず、倣う患者と、それに騙される/同調する/煽る専門家がいて、その上、新しいもの好き/探しているマスコミが拍車をかける。私見では先月号で指摘した知識人に多いカタカナに弱い、欧米崇拝/劣等感のなせる業。戦後直ぐのいわゆる「アメしょん(現代では注釈が必要であろう。米国に小便をしにいっただけ《つまらない渡米を意味している》でも自慢することを指す)」と変わりない!
 明治維新後、「民主主義」「憲法」「科学」などなど、どれほど新しい西洋の概念を日本語(漢字)に先人は訳したか!そのいくつかは漢字の本家で今も使われている偉業であるが、敗戦後に気概を失った現代日本人は、片仮名を使うのが“セレブ”と考える愚かさ!私も以前はそれほど意識していなかったが、最近は無理にでも日本語を使う気持をもたないと、わが国は滅んでしまうと危惧している。拙文で元号と西暦を併記しているのも、無駄な抵抗と思いながら、わが国の文化を滅ぼしたくないからである。面倒でもこのような気持ちを持ち続ける努力をしなければいけないのが現代。今でも、旧仮名遣いの文章を書く人もいて、できれば私もそこまでしたいが、残念ながら戦後育ちで素養がない。無い袖は振れず、これは諦めざるをえないが、旧仮名遣い禁止は米国が日本人に古典を読めないようにし、文化・歴史を疎んじるようにするための策略の一つであったと認識しなければならない。 このまま行けば先月号と同じになるので、話しを戻す。障害児の問題である。確かに最近増加傾向だが、これも米国からの波及である一方で、こちらは日本でも無視できなくなっている。しかし、障害児の実像に触れる機会が一般人には少なく、誤った認識をしている場合も多い。私が自閉症児に関わった30年余り前では、ほとんどの小児科医は、自閉症児を言葉として知っていても、臨床ではあまり診ないので、自分たちが多く診る脳性まひや精神遅滞児からの連想で、顔つきや姿に「特徴がある」と思い込んでいた。だから、よけいに自閉症児のいわゆる純粋無垢な顔貌から障害が無いと誤解し、早期発見が遅れたし、今も当時と状況はあまり変わらない。そこで、今回は広汎性発達障害を中心にして自閉圏の障害を理解でき、映画としても面白い作品を、古いところから4本紹介する。

『レインマン』〈昭和63年(1988)〉

トム・クルーズという、当時若手ナンバーワンの俳優と、自閉症の役作りを1年かけてしたという演技派ダスティ・ホフマンの共演で有名になった作品で、アカデミー賞やベルリン映画祭で賞をとった。いわゆるロードムービー(日本語では「道行」。旅の出来事を綴った映画)という米国映画の得意な形式で展開していく。兄(封切り当時はサバン症候群がモデルとも言われていたが、広汎性発達障害でよい)と身勝手な弟が、父親の残した遺産が縁で出会い、旅が始まる。
 食堂で爪楊枝を落とした時に、兄がたちまち数を言い当てる場面が有名になったように、彼らの数字や意味付けの難しい記号や年代の記憶に特別の才能をもつ。しかし、自閉症をより特徴的に描いたのは、弟の女友達が彼にキスをして「どのように感じるか?」と彼女は感情を尋ねているのに、彼は「濡れた」と答える場面である。感情抜きで事実を表現し、相手の思いが判らない。まさに、「アンとサリーの課題」として有名な「心の理論」の育っていない状態が端的に表現されている。心の交流よりも事実の優先。確かにキスは濡れる。
 この旅を通して、兄弟のわずかな心の交流がみられるが、それはもちろん十分なものでなく、兄は施設に戻って映画は終わる。
 なお、同じロードムービーでダウン症を扱った『八日目』〈平成8年(1996)〉という作品もあるが未見。


『フォレスト・ガンプ 一期一会』〈平成7年(1995年)〉

アカデミー賞を6部門受賞し、主演のトム・ハンクスは二期連続して主演賞を取ったことで有名になり、米国では大当たりした。この映画の最大の巧さは最初の場面である。開巻、ゆっくりとカメラが上空から降りて、バス停留所で椅子に座っている主人公のトム・ハンクスを写し、横に座ってバスを待つ人の気持ちなど気にしないで、自分の生い立ちをベラベラ喋り始める姿をとらえる。バスがやってきて、相手が立ち去っても、次にバスを待つ人が来ると、気にせず、一方的にしゃべり続ける。そのしゃべり具合や、思いこみは広汎性発達障害そのものだが、映画では軽度か境界領域の知的障害のみと設定されている。
 主人公の痛快極まりない話は「ほら吹き男爵」的。米国で大いに受けたのは、そのおとぎ話的なものが、1950年代から80年代の米国の歴史の中で進行していく点であろう。ケネディ、ジョンソン、ニクソンと三人の大統領と主人公が会い、ビートルズのジョン・レノンまでが登場し、米中ピンポン外交からベトナム戦争まで、当時の重要な事件に主人公が常に登場する。主人公を有名人と一緒に上手に画面に登場させる技術の巧さ。邦題に付け加えられた「一期一会」は、彼の有名人との出会いを意味しているのだろう。そして、全編に当時の流行歌が流れるので、それも魅力の一つになっている。
 彼の明るい前向きの人生が、周囲の人々にも幸せを運ぶという筋では、障害者にしなくてもよいと考える。映画でも小説でも、主人公は筋の展開に「彼/彼女の性格・特徴」から、置かれた状況に「こうでならなければならない」と思わせるものが必要である。障害をもっていても「痛快な人生」を送ったというのならあまりにも安易で、ある意味、最近流行りの、これこそ差別。彼の広汎性発達障害に意味を持たせれば、周囲の状況の微妙さが読めない故に「前向きに突き進み、結果的に素晴らしい世界が広がった」と捉えられるが、それでは結末が残酷で許せない。彼が一方的に慕い続け/翻弄し続けた幼な女友達が、最後に束の間、彼と一緒に暮らし、彼の腕に抱かれて死んで“感動的に”映画は終わるが、私は「けしからぬ」と考える。なぜなら、彼女はヒッピーの仲間に入り、どうやらエイズに罹患したと想像されるから、この純粋無垢な青年が、彼女からうつされたエイズで死ぬ未来は「残酷ではないのか?」と。ヒッピーとエイズは必然的に結びつく上、彼女の死の病が説明されないので、エイズと考えて的外れではない。当時から誰も私の視点で論じていないが、この作品を私が買わない大きな理由である。

『ギルバート・グレイプ』〈平成5年(1993)〉

あまり話題にならなかった作品だが、先の2作よりも優れている。舞台はアイオワ州の田舎町。大型店舗の出現に苦しむ食料品店で、ジョニー・デップ扮する青年が店員として働きながら、夫の死後、過食症になった母親と、姉妹や知的障害の弟の世話をして生活している。現代的病理をもった家族と、些細な日常的出来事の積み重ねの中に、米国の田舎の良さや哀しさ、青春の愛おしさなどが静かに描かれていく。米国映画だが、監督はスウェーデン人で、昔NHKの子ども番組で「やかまし村」シリーズが放映されていた。
 過食症の母親には素人が扮しており、彼女の自然な姿がよい。知的障害者の弟は『タイタニック』〈平成9年(1997)〉で有名になったデカプリオがダスティ・ホフマンに劣らない名演技を披露しており、アカデミー助演賞の候補になった。デカプリオと知らない人が観れば、「本当の知的障害児が自由に振舞うのを撮って、最後に編集したのでは?」と思えるほどの自然な巧みさ。彼は『アビエイター』〈平成16年(2004)〉で強迫性障害の映画界の大物ハワード・ヒューズにも扮していたが、本作品の方が若い時であるが、より自然で巧い。
 ある養護教諭がいかなる講義よりも、障害児にどのように接するかを教えられたという感想も納得できる描写であり、スウェーデン人の撮ったほのぼのとする米国映画である。

『学校U』〈平成8年(1996)〉

北海道・旭川近郊にある高等養護学校が舞台。障害児を吉岡秀隆と神戸浩が、教師は西田敏行、いしだあゆみ、永瀬正敏が演じる。障害者が主人公ながら、先に紹介した米国映画同様にすがすがしく、日本映画的じめじめ感がない。現代の日本映画で、唯一の正統的作品を撮り続けている山田洋次監督を、私は監督としては高く買っている。もちろん、寅さんを48作も撮り続けたという点も凄いが、寅さん映画の傍らにも、秀作を幾つか撮っており、本作品もその一つ。学校シリーズは4作あり、Tは夜間中学校を、Uが本作品で、Vは再就職のための職業訓練所に通う中年男女の物語。Wが不登校児の旅物語。Tも評価は高いが、山田のやや「偽善的いやみ」が出て、私はあまり買わず、Wは可も無く不可もなしというところで、本作品とVが優れている。Vは映画としては最も面白い上に、女主人公の息子が自閉症で、特徴が巧く描かれている。


今回紹介した5本に共通するのは「障害」を扱いながら、明るくほのぼのとした内容で、暗さがない。私があまり評価しない1本も、本来は明るい作品と考えられている。映画は病気や貧乏を描いて、安易に観客の涙や感動を強いることが多いが、傑作と呼ばれるこれらの作品はソレがない。しかも、観る者に障害を判り易く教えてさえくれる。
 広汎性発達障害は個々に微妙な違いがあり、灰色の領域(gray zone)が多く、簡単に診断はつかない例が多い。手始めに映画を鑑賞しながら、彼らの特徴を知って欲しい。その上で専門書や自分の接する子どもをみると、これまでとは違った視点からも捉えられると考える。

第7回:平成21年6月号

黒沢明が描く医師 未熟な若者を導く老賢者―黒沢の理想を体現した医師―

日本のみならず世界の映画界で最高の監督は黒沢明であると言っても過言でない。何しろ、映画史上に燦然と輝く『七人の侍』〈昭和29年(1954)〉を監督し、その他にも『羅生門』〈昭和25年(1950)〉『生きる』〈昭和27年(1952))など、名作が目白押し。そのため、黒沢論は外国も含め多数あるので、今さら私ごときが述べる余地は無いが、表題のような視点からはあまり無いと思うので、今回は私の黒沢論を・・・
 彼の作品は全30本。今回取り上げる第7作の『酔いどれ天使』〈昭和23年(1948)〉から、第22作『赤ひげ』〈昭和40年(1965)〉の間の17作は、私が勝手に命名した「傑作の時代」の作品。それ以前の6作とそれ以降の7作を、私はあまり買わない。そして、傑作の時代の始まりと終わりの主役は医師になっている。黒沢の描き続けた「老賢者が未熟な若者を導く」主題に、医師をもってきたのを、私たち医師は考えなければならないと思うが、現在の医療は入学試験の異常さに始まり、医師個人にも制度にも、荷が勝ち過ぎて難しい。
 『酔いどれ天使』の翌年に、彼は再び医師を主役に『静かなる決闘』を撮り、『赤ひげ』の前年に撮った『天国と地獄』では、誘拐犯人を医学生にしている。
 黒沢は『赤ひげ』まで、ほぼ年1本撮っていたが、その後は5年に1本になり、第30作の『まあだだよ』〈平成5年(1993)〉を最後に、平成10年(1998)に没した。享年88歳。前年暮れに傑作の時代、全作品で主役を務めた三船敏郎が逝去し、この年の押し迫った12月30日には、黒沢と常に対照的に扱われた巨匠・木下恵介監督も没した。まさに偉大なる邦画の終焉の年であった。

 『赤ひげ』の後には米国との合作映画『暴走機関車』『トラ・トラ・トラ』(いずれも他の監督で映画化された)の挫折や、発狂説も出て自殺未遂事件もある。そして、再起第1作とも言える昭和45年(1970)の『どですかでん』では、それまで頑なにモノクロ(白黒)に拘っていたのが、カラー(色彩)になり、作風も出演者もがらっと変わり、それまでの迫力ある主人公も筋も姿を消し、映像美の追求になっていく。次に長年温めていた題材の映画化が、ソ連で撮った『デルス・ウザーラ』(昭和50年(1975))で、これは傑作の時代の主題に戻った面もあるが、これを唯一の例外として、すべて映像美が主となったように感じられる。作風が監督の年齢や時代で変わるのは当然であるが、彼の傑作の時代があまりにも強烈なので、私のような普通の映画ファンは、それを求め続け失望する。評論家の多くは、彼のその後の作品も高く評価しているが・・・
 この17年間の傑作の時代は三船敏郎を中心に「黒沢一家」とも呼ぶべき常連俳優が出演し、脚本は他の脚本家との共同で、音楽は早坂文雄から、彼が没した後は弟子の佐藤勝に引き継がれたが、種々な面で一貫した姿勢が映画全体に溢れていた。

『酔いどれ天使』

敗戦後の猥雑な闇市が舞台(セットであるが、黒沢らしくロケかと思える現実感がる)。三船敏郎扮する若いやくざが胸を患っているのを、志村喬扮する飲んだくれの開業医が助けようとする二人の交流が主題。黒沢は最初、志村を主役にするつもりが、初めて組んだ三船の個性に驚き、少しずつ主題も変化したと言う。戦後のやくざのかっこよさを否定したい黒沢であったが、観客には三船のかっこよさが反対に受ける結果になった。三船は志村の思いにも関わらず、やくざ同士の抗争で死んで行くが、同じく胸を病んだ久我美子扮する女学生を登場させ、最後に希望を表現して映画は終わる。
 三船は監督に表現を変えさせるほどの強烈な個性を出して、これから黒沢作品の常連になる。志村も同じく常連になり、音楽など傑作の時代の体裁が整った作品である。この作品から、黒沢は脚本を自分だけで書かずに共同者を加えた。この作品はまさに黒沢らしさの始まりである。
 なお、余談であるが、最近の豊かな時代には大道具をはじめとする装置も戦後の貧しい時代を現せなくなっていて、すべて「うそ臭く」なる。映画は黒沢作品に限らず、戦後の貧しい時代に撮られた作品では、大道具も実景と見間違う出来になるが、このような点にも映画の面白さや雰囲気の怖さを感じる。

『静かなる決闘』

戦争中、野戦病院での手術から梅毒に罹患した青年医師(三船敏郎)が、恋人を避けて頑なに信念を通す筋。舞台になる病院は、今から観ると敗戦後の貧しさ汚さが「病気を治す病院?」と疑問すら出るが、直ぐに性交渉に入る最近の若者にへきへきしている私は、その精神的清潔さと麗しさに、物の溢れる時代に失った大きなものを強く感じる。しかし、公開当時からこの映画の評判はあまり良くなく、梅毒の感染や医師の気持ちに無理があると言われていたが、GHQ(連合国軍最高司令部)が映画の脚本まで検閲していた時代で、結末の改変を指示され困ったと黒沢は語っている。以前、戦争映画の時に述べた(2月号)が、占領軍(米国)は占領期間中、戦前・戦中の軍部さえしないような検閲をあらゆる分野で行った事実を日本人は知らなさ過ぎるので、付記しておく。時代劇は禁止され、映画の脚本はすべて検閲され、木下恵介は恋人を他の者に譲る男の話を“封建的”と突き返された。騎士道に通じる精神でも、封建的と断罪する占領軍の横暴がよく出ている事件である。
 この作品は前作で監督に主題を変えさせるほどの強烈さを魅せた三船を、まったく違った個性の主人公にしたくて、ヤクザから青年医師に替えたのである。普通であれば同じような役を振り当てるところを、正反対の役柄にさせるところが、若き黒沢の意欲と自信であろう。もっとも彼も後年は『用心棒』〈昭和(1961)〉で三船の三十郎があまりに好評なので、翌年に同じ三十郎シリーズとして『椿三十郎』を撮っている。日本映画界の変化も影響して、ある意味、背に腹は代えられない状況が、この天下の大監督にも容赦なく降りかかっていたのと、年齢が関係しているのではなかろうか。なお、その後にも三十郎は別の監督の『待ち伏せ』『座頭市と用心棒』〈共に昭和45年(1970)〉に登場したが、形骸以外の何ものでもなかった。

『赤ひげ』

御殿医になりたくて長崎で修業してきた青年医師(加山雄三)が、こと志と違った貧民施療院「小石川療養所」で働くようになる。最初は不満をもっていた彼が、やがて所長(三船敏郎)である「赤ひげ」の献身的な治療と豪快な人間性に心打たれ、真の医療に目覚めていく姿を幾つかの挿話を交えて描いていく。
 小道具係は絶対開けられることの無い薬箱の引き出しの中まで、もしも監督が開けた時、それが白木のままであれば、江戸時代に没入して作っている監督の気持ちがいっぺんに現代に戻ってしまうことを恐れて、使い古したように作ったという黒沢神話が残っている。見えない場所にまで徹底した完璧主義!もちろん、映画を観る私たちにそのことは判らない。しかし、そこまで行われた美術の凄さは本物そのものので、重厚さは是非、大画面で観て欲しい。
 これは繰り返すが、黒沢が求め続けた「未熟な若者を年長者が教え導く思想」の集大成で、主人公に非の打ちどころがなくなり、筋の展開はやや陳腐。黒沢は「最後にベートーヴェンの第9、それもフルトヴェングラーの演奏によるものが聴こえてくる」感動が湧きあがらなければならないと撮影中に言い続けた。黒澤と長年コンビを組んできた作曲家の佐藤勝は、この映画では自己の個性を犠牲にして、純古典的な、まるでブラームスやハイドンそのものといった音楽を書きあげた。そのために佐藤は、自分が書いた音楽を気に入っていないが、私の耳にはやはりこの音楽が合っていると感じる。タイトルで重厚な響きのブラームスの交響曲第1番第4楽章の主要主題にかなり似た曲が少し出るが、直ぐに物売りの声や風鈴の音が入るかたちで中断されるなど、扱い方には工夫が凝らされている。もともとこのブラームスの主題そのものが第9の主題に似ていると言われてきたから、佐藤はまさに少々ひねってこの黒沢の欲求を満足させたことになる。
 撮影が終わった後、黒沢は肺炎で入院するほど熱を入れ、生涯求めた主題の集大成に力を出し尽くした。その後、先に述べたように作風は一変し、黒沢一家の俳優も、音楽の佐藤までもが登場しなくなった。斜陽化が加速度的に進む当時の日本映画界で、この最後の大作とも言える作品は、あらゆる意味で日本映画の鎮魂曲(レクイエム)になった。
  この作品は公開当時評価が高かったが、後年はそれほどでもない。それは恐らくこのあまりにも「立派過ぎる」医師と、その人間性に打たれ彼の跡を継ごうと決心する青年医師の話が出来すぎで、途中の幾つかの挿話も感動の押し売り的。「どうだ!凄いだろう!感動しない奴はいないはず」と黒沢が仁王立ちして怒鳴っているようにさえみえてくる。
 『赤ひげ』後、あらゆる点で黒沢映画が豹変した事実は、今も謎に包まれている点もあるが、改めてこの作品を観ると、その後の混乱を暗示させ、これまでの「黒沢らしさ」の陰りと、映像美追求の芽生えが随所にみられる。彼の追い求めたものが、厳しく言えば、周囲の支えでかろうじて発揮できたのではなかろうか?それは美術や映像美が素晴らしいにも関わらず、意外に筋や設定が先に指摘したように「紙芝居」的で、とてもそれまでの黒沢の「面白い迫力ある映画」ではない。
 また、『赤ひげ』と『酔いどれ天使』は気妙に相似形を成している。映画の題名は主人公の壮年医師を表しながら、実質は若者が主役になっており、『酔いどれ天使』で若者に扮した三船が、『赤ひげ』では壮年の役になり、その後、彼の出番まで無くなった。黒沢の永遠の主題がまさに終焉を迎えたのと軌を一にして。

 なお、傑作の時代の17本で本文中に挙げなかったものの中で『野良犬』『隠し砦の三悪人』『悪い奴ほどよく眠る』は必見の名画である。



8回:平成21年7月号

子どもから見た大人の世界―洋画から

 私たち大人は戻ってこない子ども時代を懐かしく思い、必要以上に美化していく。時に不幸な子ども時代を過ごした者は、それを否定したいあまり、無意識に自分と同じ不幸を子どもに与えていく場合もある。個人的な場合はわが子が犠牲になるだけだが、教育・心理・医療の専門家が、仕事の場で行うと、被害は大きくなり、取り返しのつかなくなる場合さえある。表面的に“子どもに優しそうな言動をとる”人の中には、“優しさ”の裏に潜む「子どもを不幸にさせる作用」で、これを実行しているのでは?と思われる者もいる。かつて文部省(当時)でゆとり教育を進め、広島の教育を破壊したにも関わらず、アチコチで評判がよかった某官僚など、私に言わせればその典型。例え自分が不幸な過去をもっていても、子どもに関わる職業に就けば、間違っても「江戸の敵を長崎で打つ」ようなことはして欲しくない。美辞麗句で飾り、私憤を晴らしている人が、この領域にはかなりいる。
 話が冒頭から外れたので、元に戻す。幸せな子ども時代を過ごした多くの者は、「少年時代」の懐かしさを何よりも大切にし、わが子にもそれを与え、同時に子どもの視点から描いた映画に特に感動する。子どもが主人公の作品は多いが、子どもの目から描いた映画はそれほど多くない。今回は子どもの視点から描いた洋画の傑作を取り上げる。

 『シェーン』〈米国 昭和28年(1953)〉 

流れ者が村の悪者を退治して、彼を慕う者(多くは娘)を背に、何処ともなく去っていく、わが国の股旅物とまったく同じ筋。本作では娘が少年になり、彼の視点から主人公を描き、加えて詩情溢れる風景と音楽の美しさが決め手になった。それまで甘い顔で人気のあった活劇俳優アラン・ラッドから、一世一代の名演技を監督ジョージ・スティーブンソンが引き出した。最近、この名作が500円DVDで販売されているが、残念ながら色彩は褪せていた。それこそ耳にこびり付いた少年の「Shane come back!」と叫ぶ声のように、半世紀前に目に焼きついた色彩は残念ながらcome backしなかった。当時の米国映画はほとんどがテクニカラーで、「総天然色」と謳っていたが、むしろ非天然色で、現実にあり得ないほど濃厚な色彩を提供してくれていたのに残念。
 私は封切られた昭和28年(1953) 小学校5年生で観たので、まさに劇中の子どもとほぼ同じ年齢。最終回で観たが、銀幕の中で「少年がシェーンと別れ難かった」ように、私自身も感情移入が強く、帰ってしばらく寝付かれなかった。観客である私が少年と完全に同一化していたからであろう。大学生になった頃、再上映されたのでもう一度観たが、同じ感情は出なかった。
 なお、クリント・イーストウッドが製作・監督・主演した『ペールライダー』〈昭和60年(1985)〉は、本作のパクリである。米国で当時、衰退していく西部劇にイーストウッドがオマージュ(hommage)を捧げたと評判になり、大当たりしたという。断っていないが、本筋も細部も『シェーン』を真似ていながら、少年を少女に置き換えるなど、大胆な改変をしているので、かえって面白い。最後に主人公が悪党と決闘をした後、雪を頂く山に向けて去って行くのに、少女の呼ぶ声が重なる場面では思わず苦笑した。なお、山田洋次が監督した『遥かなる山の呼び声』〈昭和55年(1980)〉は『シェーン』の主題歌の題名で、彼はこの作品から触発されて創作した話であり、それなりによくできた作品であったが、最後は作為が目立ち過ぎた。

『仔鹿物語』〈米国 昭和21年(1946)>日本公開は3年後の昭和24年

フロリダの森林地帯で半猟半農の生活をしている一家と小鹿の物語で、『シェーン』と同じく子どもは一人っ子で、年齢も同じくらいで、極めて似た設定。違いはシェーンの少年より美形で、それは父親がバン・ヘフリン(性格俳優)とグレゴリー・ペック(美男)の違いに合わせたか?冗談はさておき、共に開拓時代の善き米国民代表といえる家庭。これも『シェーン』と同じくテクニカラーの濃厚な色彩で自然を巧みに描き美しかった。
 子連れの雌鹿を父親が射殺したので、少年が小鹿を連れ帰り育てていくが、成長するにつれ、自分たちの畑を荒らすようになり、鹿を撃ち殺さなければならなくなる。この出来事を契機にして少年の成長がなされていく。少年の通過儀礼と健全な父親像を主題にしたほのぼのとした作品。これも私は封切り当時に観ているが、昔は親が安心して子どもを連れていける映画が多かった。

『落ちた偶像』〈英国 昭和27年(1952)〉

主人公は大使の一人息子。子どもの目から描くと一人っ子にならざるをえないようである。彼は両親が忙しく、相手にしてもらえないので、何かと親切にしてくれるラルフ・リチャードソン扮する執事を偶像のように思っている。うるさい妻をもつ執事は秘書のミッシェル・モルガンと不倫関係にあり、妻が死亡する事件から、少年の偶像が落ちていく。
 これは映画史上に燦然と輝く『第三の男』〈昭和24年(1949)〉を撮ったキャロル・リードが、同じグレアム・グリーンの原作を映画化した作品で、日本では『第三の男』が製作2年後に公開され評判になったので、この作品は直ぐに公開され、2年連続でリードの傑作が観られた。私はこの作品を後年テレビ放映で観たのだが、面白さに脱帽した。『第三の男』も私はテレビで観たが、こちらは夜の場面が多く、最もテレビ向きでない上に、画面の大きさが重要な作品だったので、真価が判らずじまいでいる。
 リードのグリーン原作による傑作3部作の最初は『邪魔者は殺せ』〈昭和22年(1947)〉で、これはアイルランド独立運動の闘士が、傷つきながら警察の目を逃れ潜行する話。リードを世界的に有名にした作品で、確かにこの3作は戦後の英国映画を代表する傑作。私はこの作品だけ昭和26年の公開当時に観ているが、子ども心にも主人公が追い詰められていく姿をやるせない思いで観た。これも夜の場面が多いのでテレビやビデオ向きではない。

『追いつめられて』〈英国 昭和34年(1959)>

こちらは忘れ去られ、当時もあまり評判にならなかった傑作(最近500円DVDが出た!)。長い航海から帰ってきた若者が、恋人の心変わりにカットなり殺害してしまうのを、少女が見ていたことが発端。そして少女と若者との間に奇妙な人間関係ができていく。犯人を追う刑事と3人の人間模様も描かれ、何段にもスリルとサスペンスが満載された映画で、少女の側から描いているのが特徴。最近同じ題名でケビン・コスナー主演の米国映画があったが、まったく異なった内容。
 少女に扮したヘイリー・ミルズが抜群に巧くて、作品を更に素晴らしいものにした。彼女はこの作品が初登場で、その後は米国でディズニーの『罠にかかったパパとママ』〈昭和37年(1962)〉などに二役で出演したが、本作を上回るものがなく、直ぐに忘れ去られた。なお警部に扮するは、彼女の父親のジョン・ミルズで、こちらは昔からの渋い俳優で、米国映画にも多く出演している。
 この作品は昭和25年(1950)に公開された米国映画『窓』のパクリともとれる。暑くて非常階段で寝ていた男の子が隣室の夫婦による殺人を目撃してしまう。何しろ、この子どもはいつも嘘を付いているので、「狼が来た」と言い続ける子どもの話に似て、いくら訴えても周囲の大人は少年の言うことを信用してくれない。そのうちに少年の話しているのを聞きつけた殺人犯夫婦が、少年を殺そうとしていく。当時小学3年生の私はハラハラして観た記憶がある。『追いつめられて』の評でも、本作品に言及したものは無く、当時でも完全に忘れ去られた作品であったようで、子どもが観て面白くても、それほどの作品ではなかったのであろうか。手元に資料が無いので何も言えないが、忘れ去られた作品に意外に面白い映画があり、子どもが観ても面白い作品は、先の『邪魔者は殺せ』と同じく秀作が多いともいえる。更に余談であるが、ヒッチコックの有名な『裏窓』〈昭和29年(1954)〉も、この小品のぱくりとも言える面がある。
 『追いつめられて』に戻る。監督はJ.リー・トンプスン。本作品と同じ年に撮った『北西戦線』(英国の植民地時代のインドが舞台の列車による脱出記)と前年の『恐怖の砂』(第二次世界大戦中のアフリカ砂漠のドイツ占領地域でのジープによる潜伏記)も、今では完全に忘れ去られているが、『インディ・ジョーンズ』のように荒唐無稽でなく、英国流活劇の三部作。その後、彼は米国に渡り大作『ナバロンの要塞』〈昭和35年(1960)〉で一躍有名になったが、これが頂点で、次ぎに撮ったクリント・イーストウッド主演の『恐怖の岬』〈昭和37年(1962)〉から精彩が欠け始め、その後撮る作品すべてが陳腐で、急激に三流活劇映画の監督になり果てた稀有な例。米国に渡ったのが悪かったのか?

『鉄道員』〈イタリア 昭和31年(1956)〉日本公開は2年後

 イタリアの貧しいが健全な鉄道員の家庭が舞台。末っ子の目で日常生活が父親を中心に淡々と描かれ、父親の死で終わる。公開当時は子どもの可愛さと主題曲が一世を風靡した。監督・主演はカルロ・ルスティケリ。彼の作品は翌年に『わらの男』が、3年後に『刑事』が公開され、後者では同じく主題曲が流行ったが、映画としてはそれほどのものではなかった。
 同じ題名で、「ぽっぽや」とルビが付いた高倉健主演で降旗康男監督の邦画〈平成11年(1999)〉がある。これは北海道の廃線寸前の小さな駅で、定年を迎える妻や子どもを失くした駅長に訪れる束の間の幸せを描いた秀作で、翌年の日本アカデミー賞の主要部門を独占した。
 なお、邦画で子どもの目から「大人世界を見た」秀作は小栗康平監督の処女作『泥の河』〈昭和56年(1981)〉が代表であろう。これについてはいずれ詳しく述べたい。


第9回:平成21年8月号

山田洋次論(1)冨田流分析―比較文化の視点から

原作を超える翻案/山田洋次の真骨頂!/ロードムービーの傑作

戦後から昭和35年頃までが映画の黄金時代である。その頃に思春期を過ごし、多くの映画を観てきた私のような者は、最近の映画にはついていけないものが多い。映画先進国(欧米や日本)で、映画らしい映画が少なくなってきているのは世界的傾向。あらゆる分野で新しいものが古いものにとって替わるのは当然で、当初は受け入れられなくても、時代を経るにつれ理解され、それがやがて古い物になる。この過程が古今あらゆる分野で繰りかえされてきたが、古いものに馴染んだ者は進化についていけないのも、凡人の常。だから、私は古い映画が好きだし、古い形の映画に出会うと嬉しくなる。今回と次回に連続して取り上げる山田洋次は、古い形の映画を撮る代表的監督である。

昔はそれぞれの国らしさ(つまり特有の文化)と、その上、わが国や米国の映画では、会社らしさまでが伺えた。東宝は明るい都会的作品で、松竹はメロドラマ、東映は時代劇や任侠物、大映は種々の領域が満遍なく、日活は無国籍なギャング物、新東宝はゲテモノなどに特徴があり、米国でもユニバーサルは怪奇映画が得意で、パラマウントは都会的でしゃれたものが多かった。若い頃は映画の題名だけでなく、自然に製作会社名まで覚えていたのは、若い頃の記憶のよさもあったが、それほど制作会社に特徴があった左証である。しかし、最近は国や会社の特徴を表す映画が無くなり、それにつれ国籍不明の作品が増加すると共に、実質的にも多国籍映画が増加した。映画後進国の作品が評論家筋に好意的にみられているのも、映画先進国が失ったものをそこに見出すからだろうか?映画ではないが、中年のおばさんの驚異的熱中から始まった「韓流」でも、昔の日本映画のメロドラマにそっくりで、新しいものに付いていけないおばさん連中が飛びついたと分析されている(私は観ないし、観る気もないから判らないが)。

本欄で取り上げる作品の多くが古い映画であるのも、古い名作は何よりも脚本と俳優が善かったからである。日本映画初の職業監督であるマキノ省三は「一スジ(脚本)、二ヌケ(撮影)、三ドウサ(演技)」と言っているが、誠に最近の映画は脚本が雑で、俳優(優れた人)でなくタレント(素人に毛が生えたくらい)が演じるので、基本が成り立っていない。残った撮影は美しくても、これだけでは映画好きには物足りない。最も困るのは「裸や性の描写」は無くてもよいところに挿入し、凄まじい破壊・暴力は「これでもか」と見せつけ、生理的刺激で観させようとする魂胆が強すぎることである。一方で、理解するのに必要な場面はしばしば省略されたり、時系列や空間的なものは無視され、監督の思い付きで挿入されたりするので、老人の頭はついていけない。特に開巻でそれが顕著な作品が多く、老人の頭は最初から混乱する。

そのような中で、山田は練りに練った脚本で撮っている。だからどの作品も平均して優れている。もちろん、山田では寅さんが最も有名であり、同じような人物と展開だけに、よけいに脚本が難しいのに、49本書き上げた。これは次回に譲り、今回はわが国の文化を見据えた姿勢が強く出た、私が最も買っている作品を紹介する。

『幸福の黄色いハンカチ』(昭和52年〈1977〉)

山田の最高傑作とされており、一部に「うま過ぎる」とも言われている。米国で流行っていたホークソングの歌詞(刑期を終えて出所した男が、妻に、もしも自分を今も待っていてくれるなら、家の外に黄色いハンカチを揚げておいて欲しい。それが無ければ俺は素通りしていくよ)から題材がとられたことは有名。山田はこのバタ臭い話を北海道に置き換え、軽佻浮薄な若者を絡ませ、日本的に翻案した。最大の焦点になる黄色いハンカチを物干しに盛大に飾り見せるところは、日本離れしているが感動を盛り上げた。山田の面目躍如たる脚本と演出である。もちろん、出演したベテランの高倉健と倍賞千恵子もよかったが、映画初出演の武田鉄也が出色の出来であった。また、当然ながら、米国映画お得意のロードムービー(5月号で解説)になったが、これも巧く北海道に移植したので面白くなった。種々の点から邦画に珍しい作品になり、その年から選考が始まった日本アカデミー賞の各部門を総なめにしただけでなく、その他の従来からある賞もほとんど独り占め。ちなみに、このアカデミー賞は淀川長生と同じくテレビ映画の解説で有名になった水野晴夫が中心になって設立されたもので、当初は彼の色が強く出すぎたのか、評判はあまりよくなったが、本作品の価値は下がらない。昨年、米国で再映画化がなされ、タイでもかなり以前にそっくりそのまま再映画化されたらしい。

なお、この作品で初めて顔合わせをした主演の高倉と山田は意気投合し、『シェーン』のような作品をもう一本北海道で撮ろうということになってできたのが『遥かなる山の呼び声』(7月号紹介)である。

『愛の賛歌』(昭和42年〈1967〉)

初期のあまり知られていない佳作であるが、私は彼の作品で最も買っており、同時に翻訳ものの最高傑作と思っている。この題名はエディット・ピアフが歌った有名なシャンソンの題名で、内容はフランスの近代劇を代表する有名なマルセル・パニヨルの原作によっている。原作は「マリウス」「ファニー」「セザール」の三部作で、それぞれ若者・娘・若者の父の名前で、もちろん娘を中心に翻案されている。『愛の賛歌』は題名も内容も、すべて外国からの借用になるが、これを瀬戸内海の離島に移した。原作は「海に憧れた若者が恋人を捨てて船乗りになる。彼の子どもを宿していた娘は、若者の父親の友達と結婚して、その子を育てているが、そこに若者が帰ってくる」という筋。元来がフランスの漁港マルセイユが舞台の人情話だから、ある意味で日本に移しやすい部分もあるが、本筋はかなり「バタ臭く」日本的でない。これを山田は巧く日本の人情噺に改変し、哀しく切なく、しかし明るい庶民的人情の溢れた「郷愁を感じる」物語にした。

若者二人、といってもほとんど倍賞千恵子の娘が主役であるが、彼女を取り巻く人物が、父親の伴淳三郎はもとより、彼の悪友や住民が、山田の作品で多く登場する落語世界の長屋の住人的で、太宰久雄、小沢昭一、北林谷栄、有島一郎、渡辺篤、千秋実らの脇役専門の芸達者で固められていた。

なお、原作は本国フランスで1931〜36年に3部作として映画化され、ドイツでも1933年に『黒鯨亭』として映画になっているが、私はもちろん観ていない。有名なのは昭和36年(1961)に米国で映画化された。『ファニー』である。『ピクニック』(昭和30年〈1955〉)で一躍有名になったジョシア・ローガンが、マルセイユにロケをして、俳優もフランス人を多く使い、雰囲気の出た作品に仕上がっていた。その後、本国フランスで原作を大胆に脚色し、ミュージカル映画に仕立て上げたのが、大評判になった『シェルブールの雨傘』(昭和39年〈1964〉)である。歌劇のように全編のセリフが歌で、俳優はいわゆる「口パク」で歌手の吹き替え。カトリーヌ・ドヌーブが主演し、日本でも大当たりした。しかし、いずれも『愛の賛歌』の足元にも及ばない出来である。

『家族』(昭和45年〈1970〉)

米国の巨匠スタインベック原作の名作を、これまた巨匠ジョン・フォードが監督した『怒りの葡萄』(1940年制作で日本では昭和37年〈1962〉初公開)の翻案と、私のみが考えるのが本作品。これは山田もそれらしいことを言っていないし、誰も指摘していないが、彼の映画創りの特徴から、私は確信をもっている。

昭和45年、万博が開催された年、九州は長崎の離島(伊王島)から北海道に新天地を求めて、幼い子ども二人と老父を連れて若い夫婦(井川比佐志と倍賞知恵子)が旅立つ場面から始まる。そして、この三世代家族の日本列島縦断の旅が描かれる。ロードムービーを日本で撮らせたら山田ほど巧い監督はない、と改めて感心する。

『怒りの葡萄』は第一次世界大戦後の大恐慌時代に、新天地を求めて家族が旅をする話だから、それから40年近い年月がたち、日本は繁栄の頂点の時代である以上、大恐慌時代を代表する作品の翻案と考えるのは、無理ととられて仕方がない。しかし、表面的に繁栄した日本で、そこから取り残された庶民や親子・兄弟の絆、医療の貧困などを鋭く突いたロードムービーは『怒りの葡萄』を思わせる。私は時々山田の映画に「偽善性」を感じるが、おしなべて彼は思想を前面に出さずに、面白く描きながら考えさせる手法をとり、この作品は成功している。

本作品は大阪に住む者に特に思い入れのある万博(今ならエクスポと言うカタカナが溢れたことだろう!―当時もEXPOと表示されたが、まだまだ日本人は健全で、ほとんどが万博と言っていた!)が途中に登場する。在来線から大阪で新幹線に乗り換える時間が少しあるので、話題になっている万博を老人だけ残して入り口だけでも見ておこうという設定と描写は、多少の無理があるが脚本の巧さである。

道中、末っ子の死亡など重い逸話を残しながら、北海道での新しい生活が始まるところで、映画は希望をもって終わる。

『椿姫』(昭和63年〈1988〉)

山田と常に脚本でコンビを組む朝間義高が監督し、山田は脚本のみの参加だが、巧さが光る作品である。椿姫は「カルメン」に並ぶ歌劇の傑作だが、原作は有名な小デュマで何度も各国で映画化された「恋愛物」の古典。世間知らずの若者が娼婦と同棲をするが、父親に説得され別れ誤解が生じる。最後に誤解が解けて一緒になろうとした時、娼婦は結核で死んでいくという一大メロドラマ。だから、現代では「今さら!」と思わせる筋であるが、これを実に巧みに換骨奪胎して面白い話にした。歌劇好きのタクシー運転手が、自分の身の上話を、客であるソプラノ歌手の秋山美恵子(二期会所属)に話す設定で、何度か秋山による歌劇の舞台が「劇中劇」の形で見せ、本筋も椿姫の翻案ともとれる話が展開されていく。これもある意味ロードムービーである。惜しむらくは題名から、誰も「今さら」と思ったのか、あまり話題にならなかったが、ここでも山田の脚本創りの巧さに脱帽する。

彼は本当に外国物を巧みに翻訳し、傑作を創る天才である。そこに彼の国とわが国の文化差をしっかり見つめた目があるから、原作以上の感動を日本人に与える。これを二番煎じと馬鹿にしてはいけない。

 

10回:平成21年9月号

 山田洋次論(2)『男はつらいよ』論

―民族の血を甦らせてくれる喜劇映画の傑作49本!/主題と変奏/端倪すべからざる才能―山田洋次の寅さん

 

前号に続いて山田洋次論。ギネスブックに世界で最も長い連続映画として掲載され、今更取り上げるのも気が引ける寅さん。私もご多分に漏れず、熱烈な愛好家で、家人から「よく飽きもせず『同じような筋』のものを観ているね」と、呆れられてきた。この映画の「面白さ」と「延々続いた人気」は、既に多くが語り尽くされている。落語的面白さと山田の演出力、舞台になる郷愁を誘う田舎の風景に加え、渥美清をはじめとする常連俳優と、日本を代表する女優が登場する魅力など、誰もが指摘する要素は多い。

 私はこの作品こそ、日本の喜劇映画の最高傑作と捉えている。日本映画では古くはエノケンに始まり、アチャコや森繁や伴淳、あるいは寅さんに併映され、今も続く「釣りバカ」シリーズに至るまで、ほとんどの喜劇映画は、川島雄三の『幕末太陽伝』〈昭和32年(1957)〉を唯一の例外として、ドタバタで品がなく、下ネタや大げさな動作で笑わせるだけ。最近妙に評価の高い植木等の『ニッポン無責任時代』〈昭和37年(1962)〉を代表とする一連の作品でさえ、植木やクレージーの面々の個性に寄りかかっただけ。それまでの東宝の社長シリーズや駅前シリーズと大差ないドタバタ。彼らがテレビコントで見せた毒と活気にあやかって、安易な即席脚本で、傑作ができるわけがない。私は彼らが年1回、大阪のコマ劇場で実演した頃、毎年、最前列の座席で観たぐらいの大ファンだが、映画は当時も今もまったく評価しない。彼らは演奏とギャグが本命で、「大人の漫画(フジテレビ)」に代表されるコントで生き生きした集団。映画向きでない。

わが国には落語や漫才という独特の素晴らしい「笑い」があるのに、映画になるとどうして英・米・仏・伊のように洗練された笑いの傑作が生まれないのか不思議であった(ちなみに独は日本以下!)。そのため、寅さんにお目にかかった時の感激は忘れられない!これぞ上質の喜劇映画が誕生した、と!

 私はこの映画に「日本人が見失った、あるいは何処かに置き忘れた民族の血を騒がせる」ものが一杯詰め込まれている、と感じている。たぶん、多くの日本人はこの映画を観ると、欧米化が素晴らしいと思って生活しているのに、この映画に描かれる「人や風景の日本」に、実は秘かな魅力を感じていると思われる。したがって、寅さんの言動が誘うおかしさだけでなく、「観客自らの内なるおかしさも気づかせる『悲しい笑い』もあるのではないだろうか?」とも考える。この浪花節的でおせっかいが重要主題になる古い価値観が、山田流に上手に料理(脚本)され、誰もが心の奥で「東洋的・日本的自然共存思考の発露」を心地よく感じている、とも解釈する・・・だから、庶民の代表である真面目なさくらや博は、息子の満男にママパパなどと呼ばせず、寅が嫌う上流家庭が描かれると、ママパパになっている(4月号で指摘)どこまでも日本!万歳!

判りやすい例を挙げる。寅さん最後の第48作『寅次郎紅の花』〈平成7年(1995)〉で扱われた阪神大震災。以前の関東大震災でも同じであったが、世界中が驚嘆したのは「大きな暴動や略奪の起きない」「静かに復興に向けて黙々と働く」民族性である。「赤信号、皆で渡れば怖くない」で見事に表されている集団主義は、「皆で被災すれば怖くない/助け合おう」になり、善い面がいかんなく発揮された。抜けがけして略奪したり、為政者への不満を暴動で表現したりしようと考えない(一部では小規模なものはあったにしても)。私自身が被災地に住んでいて、日本の農村的善き風景が出現したのを肌で感じ、「日本人捨てたものでない!」と感動した。隠れていた精神的なものを、物質的損失が甦らせたのである。「自立だ!個性だ!国際化だ!」と公教育が64年間教え続けても、欧米の厳しい父性社会の個人主義は育たず、古き善き日本的精神を失った現代日本人も、極限下に置かれると、日頃は気づかない民族の善き血が現れる。同じことが寅さんを観る度に観客は感じている、と私はみる。

更に話題がズレるが大切なことなので一言。この大災害に、私たちが選んだ政府のお偉方は、初期に政治家らしい責任ある言動を誰一人としてとらなかったのは、嘆かわしい現代日本を象徴していた。知事は自宅に居て、迎えの車が来るまで何もせず、周囲が「自衛隊の出動を!」と進言しても、「俺は自衛隊が嫌いだ」と言ったとか・・国の最高責任者は「くだらないことで起こすな!」と怒って二度寝をしたともいう。その後、被害の大きさに驚いて「何しろ初めてのことじゃから」と、顔だけは「好々爺」的であったが、実は殺人者になって平気であった。この震災当時、党利党略最優先で首相になった社会党(当時)の首相は、最高責任者の自覚や決意は何もなく、6500人弱の死者を出して平気であった。地震発生時、直ぐに自衛隊に出動命令を出し、一般道路を封鎖すれば、家屋の下敷きや火災のために死なずにすんだ被災者がどれだけいたか・・・初期活動がきっちりされていたら、あの大火災は絶対に発生しなかった!あれだけの大災害では警察や消防では歯が立たず、軍隊の力が必要。それは軍隊の目的が「自国民を救う」のだから当然。戦後のわが国では「軍隊は自国民を救うために侵略者を仕方なく殺す」という命題の最後の「殺す」だけ取り出して、偽善的に反対する不毛の論議ばかりしてきたので、自衛隊と偽称され、軍隊的なものすべてに手かせ足かせをすれば、国民を救えないことを実証した。極端な言い方をすれば、死なずに済んだ被災者を、戦後の「偽善的平和愛好言論」が殺害したのである。それでも国の最高責任者が緊急事態を正確に認識し、己の命をかけても超法規で、自衛隊の出動と道路封鎖をしていれば・・・と悔やまれる。戦争に真剣に備えると危機管理ができ、災害にも万全の備えができるのは、世界の常識。震災から10年以上たっても、情緒的回顧ばかりで「なぜ、死なずにすんだ6500人の霊から教訓を学ばないのか?」。私はココでもごまめの歯ぎしであるが、異見にしかならず、軍国主義とあらぬ非難を受けるのがおち。この首相の言動は国を滅ぼす連続であったが、本欄の第1回(平成20年12月号)でも述べたので繰り返さない。

 逸れ過ぎたので、軌道修正。日頃隠れている民族の血が、この映画で刺激され、私たちは忘れていた懐かしい「心の故郷」を思い出す。彼は唯一ウイーン(第41作『寅次郎心の旅路』)のホテルを例外として、これぞ日本旅館というような所に泊り込む。隣の部屋とは襖一枚で隔てられ、そこに吉永小百合が泊まっていて(第9作『柴又慕情』)、新しい人間関係が生まれ、筋が展開していく。観客はそのような旅館に、もはや泊まる気をもたないが、先に述べたように眠っている血は秘かに騒ぎ、失った昔の日本の善さに郷愁を感じる。何か騒動が持ち上がると、必ず寅屋に近所の人々が集まってくるのも、「古き日本の煩わしさ」であり、良き人間関係を示している。鉄の扉一枚で隔てられ、隣のことにはできるだけ関わりたくない現代人には、自分たちは願い下げの世界であるが、無意識に懐かしむ。知識人は誤った戦後民主主義を何よりも奉るので、個人主義が利己主義になり、寅さんのようなお節介は軽蔑する。こうして、対人関係の育たない子どもや大人が多くなり、不登校児から引きこもりが増加する。これも筋が通っている。

 この良質の日本的喜劇は、日本人の忘れていた民族の血をかき立てるだけでなく、 外国でも人気がある(だから寅さんがウイーンに行く)のは、結局のところ人間が普遍的にもつ心情をくすぐり、懐かしさを覚えさせるからであろう。日本的母性社会の人情が、父性社会の厳しい社会に住む欧米人にも、彼らの奥底にある共通した心情を揺り動かすとみる。人間は生まれた時に刷り込まれた母性への憧れを、厳しい父性社会に住む欧米人でも持っているので、揺さぶられるのだろう。

1作は評判のよかったテレビドラマ『男はつらいよ(昭和43〜44年の半年放映)』の最終回で寅さんが沖縄でハブに噛まれて亡くなると、抗議の電話が局に殺到したので、映画に引き継がれた。とはいうものの、あまり期待されずに公開されたが、公開されるとテレビ以上に評判がよかったので、直ぐに続編(3月号で紹介)が撮られた。更に続く第3・4作は山田でなく、他の監督によって撮られ、矢継ぎ早に公開された。既に映画が斜陽化していた頃なので、企画段階で乗り気でなかった会社が、この題材に飛びついた。しかし、3・4作(脚本は山田も参加)も面白く、初期の寅さんの元気さに溢れていて心地よい。もちろん、再び山田がメガホンをとった第5作『望郷篇』〈昭和45年(1970)〉は秀作で、これから最後まで、すべて山田が脚本と演出を担当する。当の山田は第6作『純情篇』〈昭和46年(1971)〉の時に、「逆さにしても血も出ない」状態と告白しているが、それから40本以上を協力者(朝間義高)はいたものの、すべてを書き上げ演出した。第1作以降の47作品は、すべて第1作の変奏曲と言われながら、各篇種々の工夫をこらし面白く魅せていたのは前回も指摘した脚本の巧さ。もちろん、渥美清の年齢や病魔から、終わりの頃の質はかなり低下し、話は甥の満男に移る傾向もあり、この連続物の終わりが近いと暗示させていた。

一般に浅丘ルリ子の登場した『忘れな草』〈昭和48年(1973)〉『相合い傘』〈昭和50年(1975)〉の評価が高く、私も賛同。特に2作目の船越英二を加えた3人の旅は出色の出来。三度目の『寅次郎ハイビスカスの花』〈昭和55年(1980)〉も水準以上で、四度目の登場は、いくら浅丘・渥美の組み合わせでも、病魔に侵された渥美の出演場面が少なく、観ていて痛まし姿が強く、前3作には遥かに及ばなかった。ここまで挙げた作品以外で私は第8作『寅次郎恋歌』(池内淳子)10作『寅次郎夢枕』(八千草薫)、17作『寅次郎夕焼け小焼け』(太地喜和子)、29作『寅次郎あじさいの恋』(いしだあゆみ)、38作『知床旅情』(竹下景子)が直ぐに思い浮かぶ傑作とみる(カッコ内は寅さんの相手女優名)。この間にも山田は寅さん以外の映画を撮り続け、そのいくつかはベストテンに入る秀作であるから、前回に述べたが、わが国の第一級の監督である。

渥美清が亡くなり長い連続作品は終わった。脇を固める役柄では、「おいちゃん」の森下信が第8作を撮った後に亡くなり、松村達雄が12作『私の寅さん』まで務め、その後は下條正己が最後まで務めた。脇を彩る登場人物では、初期に寅さんの舎弟が何度か登場したり、途中ではタコ社長の娘が登場したり、と筋の展開に工夫がなされていた。

そして、当時の映画界で活躍した女優は、同じ松竹の岩下志麻を唯一の例外として、全員が登場したといってよい。山田は本作品の前段階をなすハナ肇の出演した『バカ』シリーズでは毎回、岩下を出演させていたので、本作品では倍賞知恵子に花をもたせたのであろう。

 

11回:平成21年10月号

死を教える/命の尊さを教える偽善

話題の作品『おくりびと』 脚本・監督・出演者、見事な集団の勝利!これぞ映画!

 

命の大切さを教える愚かさ

何事も功罪半ばと言うが、現代の混沌とした社会は戦後教育の「功」よりも「罪」が大きかったからと言わざるをえない。いくつか罪があるのだが、その中の一つに、耳障りだけが善く、むしろ教育の悪化を促す標語(スローガン)を次々、創くったことがある。いずれも物事の本質をみず、表面的・偽善的で、私の感覚では非教育的。元祖は「誰もがやればできる」から、「生徒が主役」「授業を面白く」などで、10年ばかり前、少年凶悪事件が散発すると、早速「命の尊さを教える」なる標語が創られた。これ以降、少年凶悪事件が起こると、その子どもが義務教育のため法律的に在籍しているというだけで、校長が記者会見に引っ張り出され、悲痛な顔で異口同音に「命の大切さを教えていたのに・・」と言う。たとえ、その子が学校にほとんど来ていなくても、である。学校が人殺しを教えていたのなら、校長は謝罪しなければならないが・・・

最近の発作的殺人は当然として、あらゆる殺人は、恐らく本人の素因と家庭教育の失敗で、断じてその子どもの在籍する学校の責任ではない。本当の原因は社会にあり、その社会を創ったのが戦後教育という視点を欠いた社会論は無意味である。この簡単なことを理解しない者が多いから、事件が起こると、とりあえず校長が引っ張り出されて、無理やりに謝罪させ、誰もが疑問に思わない。校長は「こんなもん、私の責任でない!」と怒鳴ればよいのだが、できないので、意味不明な言葉を発して表面を取り繕い、幕引きする!最近の教育界を見事に表す現象で、マスコミもその教育の優等生が就く職業だから、お互いに口先だけの騙し合い!

そもそも、命は生物の最も基本にあるもので、教えるようなものではない。百歩譲って、教えなければならないとすれば、生物生存の根源を教えなければならない異常な「現代人間社会」がなぜ、出現したかを考え/教えるのが本物の教育であろう。生物は動物、植物を問わず、すべて「生きよう」と「生まれてくる」から教えるようなものではない。もしも、教えなければならいとすると、学校をもたない人間以外の生物は死に絶えている。

死を教える

強いて言えば、人間のみが「死」を明確に意識し、別れを強く意識するから、教えるなら「死」を年齢に応じて、深く考えさせればよく、それは学校教育に組み入れられてもよいかもしれない。本来は日常生活で「身」が感じ、学んでいくものであるが、現代は余りにも死が軽くなり過ぎているので、教えなければならない。これも正常ではないが、命の尊さを教えるこっけいさはない!

最近の映画の過激描写は、登場人物が通常は死ぬ状況でも死なず、テレビゲームの死はリセットで甦る。映画やテレビドラマの中で死んだ俳優は別のところでは甦っている。これらの現象が子どもに「死」を再生可能と思わせる時代を生んだと考える。祖父母の死や兄弟の誕生という「死と再生」が病院に任されたのと、核家族のせいで、子どもの周囲から死が消えて久しいのも大きな要因である。10年前に流行った「自殺予告」なるバカバカしい騒動もこの結果であったが、当時、私のような視点を有識者はもたず、「子どもが死にたいほど過酷な社会に生きているから可哀そう」式の偽善的・表面的解釈を披露していた。私は「子どもがその程度にしか死を捉えない時代に鋭くメスを入れ、可哀そうでは何らの解決にもならない」と異見を出していたのだが・・・

小説や優れた映画で、あるいは身近に出現する死は、厳粛に扱われ死を学んでいくので、内容空虚な標語を繰り返すよりよほど有益である。いつも、古い映画ばかりなので、今回は新しく話題になった作品を採り上げ、死を考える。

『おくりびと』(滝田洋二郎監督:平成20年制作)

今年2月に発表されたキネマ旬報の昨年公開邦画部門で第一位を取り、続いて、同じ月の下旬、米国アカデミー賞外国作品賞を邦画で初めて獲得した。これで一躍話題になり、社会現象にまでなり、「納棺師」が脚光を浴び、希望者まで出始めたと言う。このようなばかばかしい現象があると、私としては、敬遠したくなると同時に、日本はやはり米国の植民地と、改めて感じた次第。

本作品は主演した本木雅弘が、ある納棺師の書いた随筆を読み、感動して映画にしたいと思い続けた結果だが、基本的には新たに書き下ろした脚本による。公開すら危ぶまれた「地味な内容」で、キネ旬の1位ぐらいでは話題にもならなかったが、アカデミー賞は効果抜群。凱旋興行に観客が押し寄せた。分野が違うが、盲目のピアニストが外国のコンクールで優勝すると、彼の演奏会が満員になり、CDがよく売れる。急にクラシックファンが増加する訳がないから、ミハー的現象。恐らく楽章毎に「何も判らない者」が拍手をするのだろう。嗚呼!厭だ!

話を本筋に戻す。既に多くの評や話題が今年の2月に出たので、今さらとも思うが、私なりの紹介をしていきたい。映画は吹雪の山形に始まる。若い女性のお葬式に「おくりびと」として山崎務と本木が車で出かけていく場面。最初に彼らの仕事の一端を見せていくが、観客は何かよく判らないまま、本木の手捌きの巧さに感心しながらも、何が始まるのか判らない不安と期待が交差する。そして、遺体は女性のように葬られているが、男性であるという現代的な「性同一性障害」の若者だと示され、観客の度肝を抜く。途端に場面は本木の前の職業であるチェロ奏者の場面になり、ベートベンの「第九」の最終楽章が高らかに歌い上げられていく。昔、年末の興行界は「忠臣蔵」と決まっていたが、かなり以前から、なぜか「第九(ベートベンの交響曲第9番)」というのが、全国各地で繰り広げられていく騒動(としか言えない!)。クラシックファンの実数とケタ違いの盛況で、この一事も先のピアニスト現象と同じ。「おかしな国」である。

またもや、話が逸れたが、第九は「歓喜の歌」とも言われるように、死の対極にあるから、実に巧い脚本である。生きている人々に喜び与える職業として、誰からも「高い評価」を受けながら、収入のよくない音楽家を失職した後、給与はよいが、他人に言えない誤解されやすい、死を扱う職業に付く。他人どころか女房にさえ言えない。その対比!の巧さ。

そこから、映画は種々の遺体にまつわる問題を副次的に扱いながら、主人公が仕事を通して「死」を見つめていく主題が展開され、彼の生い立ちに大きな影響を与えた「父親との葛藤」が、最終場面では和解と職業精神の確立に行く。女房も彼の職業を理解し誇りをもっていく。この展開はこの種の映画としては独創性もなく、最初から結末は判っているのだが、そこに至る過程は、先に述べたように種々の死を扱って、少しずつ感動を高めていく。最初に述べた性同一性障害者の死、暴走族に走った娘の死、孤独死、妻を失いどこかに怒りをぶっつけたい男の心情、これらの悲しい死と「それを生業(ナリワイ)」にしている山崎と本木の心情が上手に組み合わされて描かれる。最初の場面で死と歓喜の歌が対比的に扱われたのと同じく、山崎と本木の心情も「死を扱う仕事」と「生きるための食事」を対比し巧く描写していく。山崎が白子を焼いて食う場面「これが美味いんだナ、困ったことに」の一言など、脚本が実に巧い。

関連する作品

最近はテレビ劇や劇画から安易に映画化されるものが多く、私がいつも基本になる脚本がダメと言い続けてきたが、ほぼオリジナルに近いこの映画の脚本は出色のでき。主役の本木の演技は話題になったように素晴しいが、それ以上に存在感をみせ、主役を喰うのが山崎である。私はいやでも、25年弱前の伊丹一三監督の『お葬式』を思い出す。こちらは若い頃の山崎務が主役で、これも死を扱った話題作。俳優で軽妙な随筆も書き、多芸多才な伊丹十三の初監督作品で、その年の各種映画賞で1位になった。伊丹が義父の実際のお葬式を経験した時に思いついた映画で、1週間で脚本を書き上げたという。最初は「流行るハズがない」と言われたが、話題になり、評論家筋にも一般観客にも受けがよく、大流行した。その後の伊丹の監督としての活躍は、記憶されておられる方も多いはず。映画で暴力団に対峙したために襲われ、最後は「他殺では?」と疑われる自殺で亡くなるなど、映画以上に波乱万丈の人生であった。ただ、私はこの作品も含めて、彼の作品の多くは善さが判らなかった。最初の『お葬式』から、彼の作品は「才気走った」臭いが強く、着眼点はよいのだが,感動が何一つ伝わらない映画の群であったように、私には感じられた。

 また、今回のように海外の映画祭受賞で有名になった「死」を扱った映画と言えば、一昨年の第60回カンヌ映画祭で大賞を受賞した河瀬直美監督の『殯(モガリ)の森』がある。奈良の田舎で妻を失い認知症になった老人と、わが子を失い夫と離婚した女性介護士の交流を描いた作品で、死者と生者の会話や日本古来の死者の弔いが描かれた。なお、「殯」とは「喪上がり」から出た言葉だそうである。私は『おくりびと』ほど感動しなかったが、美しい日本と伝統や文化を描いて「死」を教えてくれた。

更に、川瀬と同じくカンヌ映画祭で、同じ大賞を受賞した今村昌平監督の『楢山節考』(昭和58年)を思い出す。深沢七郎原作で話題になり、最初は木下恵介監督が昭和33年に映画化した。私は今村の作品は未見だが、木下のものは当時観ている。徹底的に人工的空間を創り上げ、歌舞伎的様式で映像化した意欲作であったが、正直なところ当時の私には善さが判らなかった。だから、今村の作品も観る気にならなかった。

この古い風習、「生きている」老婆を山に捨てるというのは、この原作や映画で有名になったが、『殯の森』を観て、「『死者』を森に葬る風習を、深沢が生きたまま山に捨てる、と創り替えたではないか?」と疑問が湧いた。それは、母性社会で儒教的なものに価値を置く日本で、母親を捨てる行動はどう考えても不自然に感じたからである。原作者の深沢の考えや生きざまは、かなり特異的だから、「死者の弔いを、生者を捨てる」に替えるぐらいのことは十分ありうると共に、戦後の昔や伝統を顧みないどころか、悪く言う社会が、この改変に何の疑問ももたずに肯定した、とも考える。あるいは考えたいと思うのだが・・・



12回:平成21年11月号

フレッド・ジンネマンの作品を観る(1)

―斬新で異端の西部劇『真昼の決闘』と軍隊内部の矛盾を告発した『地上より永遠に』

 

現代日本社会で私が最も憂えるのは、国民、特に政治家や教師という指導的立場の多くに、「信念・気概・勇気」が欠けている/失ったことである。これは64年続く戦後教育が創り上げた「戦後民主主義」と物質的に豊かな時代の到来による。戦後民主主義は元祖・欧米の民主主義とは似て非なるもので、「義務や責任を伴わない、個性・自由・権利だけを尊い」と解釈し、学校で何よりも素晴らしいものと教え続けた。また、現代日本社会のように物資的満足が過剰に与えられれば、「我慢は死語」になり、“自分らしさ”“自己責任”と、美言でわがままが正当化される。こうなれば信念・気概・勇気が死語になって当然である。

今回と次回に分けて、米国のフレッド・ジンネンマンの作品で、日本で公開されたもの、すべてを紹介する。誰もが少しはもちたいと思いながら、なかなかもてない信念・気概・勇気を常に主題にし続けた、類まれなる才能の持ち主である。偉人や英雄が、勇気や信念をもつのは当たり前だが、いわゆる普通の人が、自分の置かれた立場で、時には仕方なく/成り行きで勇気・気概・信念を現わしていく過程を、格調高く正攻法で撮り続け、私の最も好きな監督である。彼は人間のもつ善き面を鋭く見つめ、地味な内容を重厚に描くので、映画に深みを与え、評論家に評価されるのは当然だが、私のような一般の映画ファンをも、感動させる不思議な魅力に満ちている。信念・気概・勇気を失くした現代人に、説教臭くなく、感動させながら「己の生きざま」を反省させてくれるのではなかろうか?誰もがどこかにもつ「善き心」を揺り動かす点で、戦後教育のまさに正反対に位置する。

彼の作品は公開された時代から既に半世紀がたつが、当時以上に価値は増している。特に子どもに関わる職業の者は、未来ある子どものために、分に応じて信念・気概・勇気をもってもらいたいという私の思いで作品を紹介する。彼の作品を観て、何も感じないなら、戦後“民主主義”と物質文明の隆盛にどっぷり浸かった、「腑抜け」と、失礼ながら言わせてもらう。

とは言うものの、かなりの映画好きでないと、ジンネマンの名前はご存じないだろう。しかし、テックス・リッターの歌う主題歌「ハイヌーン」で有名な西部劇の名作『真昼の決闘』〈昭和27年(1952)〉の監督と言えば、多くの方は納得されるはず。それまでの西部劇は、強い男が正義の味方で、それに対する悪者がいて、最後に正義が勝つという単純明快なものがほとんど。悪者は大地主や町の有力者であるが、多くは先住民のインディアンが受け持ってくれていた。

 この作品の原名は単なる『High Noon(真昼)』で、最後に日本題名のように決闘はあるが、主題は刑期を終えて仲間と復讐を企てている悪人に対峙しなければならなくなった元保安官の1時間半の苦悩である。彼は保安官を辞任して結婚したところ。皆から町を出るように勧められるが、それではけじめがつかないので、対決しようとする。1対3では勝ち目がないので、町民に助けを求めるが協力が得られず、花嫁さえからも理解してもらえない。彼女はクエーカー教徒だからあらゆる戦いを否定するから当然。この経過が実際の時間と同じに進行し、しばしば時計が写され、緊迫感をもたらしていく。第1回の本欄で紹介した『12人の怒れる男』に同じ形式だが、本作の方が先き。

この作品は後に監督になり社会的問題作を多く撮ったスタンリー・クレイマーが制作し、短編小説『The Tin Star(錫の星―保安官の胸に付けるバッジ)』を、共産主義者ではないかとにらまれていたリベラル派のカール・ホアマンが脚本にした。そのため、この頃ハリウッドで悪名高い「赤狩り」に引っ掛かかる危険性があり、種々の憶測を生むことになる。それほど強くない人間が、自分の置かれた立場(職業)で逃げることなく、困難な状況に仕方なく突き進む姿を描いたもので、何らの政治的発言もないとジンネマンは言っているが、いざとなると逃げ出す臆病者(町民)は、体制による思想弾圧を黙認する米国人を非難した作品と政治的に捉えられた。そして、アカデミー作品賞が最も有力であると言われながら、サーカスの世界を描いた娯楽作品『史上最大のショウー』(セシル・デミル監督)に賞が行き、映画人が政府に睨まれることを回避した結果だ、と噂されたのは有名。原作の「錫」は保安官のバッジなど「取るに足りない」という意味もありそうに解釈でき、ジンネマン自身も、鋭く社会問題に切り込む作品を撮っていたので、疑われる要素は多かったといえる。

なお、「赤狩り」は多くの映画に扱われ、今も評判の悪い出来事で、マッカシー上院議員が、1950年初頭から約4年間、政府の中枢から多くの領域で、ソ連の共産主義者が潜んでいると告発して出現した大騒動。ハリウッドも種々な意味でこの騒動に巻き込まれた。俳優も有名無名を問わず、疑いがある者は公聴会に呼ばれ、自分のことはもちろん、仲間で共産党員がいるのかと尋問された。疑心暗鬼は広まり、チャップリンが米国からトルーマン大統領によって国外追放を受けたのも、この流れに付随したものであった。しかし、近年、秘密文章が公開されると、彼のやり方に強引さはあったものの、指摘は誤っていなかったと再評価されてきている。

話は飛ぶが、日本人には重要なことで、赤狩りに関連したことで、あまり知られていない史実をこの機会に述べておく。第二次世界大戦で日本に開戦やむなしと決意させた悪名高いハル・ノートは、ソ連のスパイであるハリー・ホワイト財務次官が実質的作成者であったと秘密文書で最近判明した。開戦前後の米国政治の中枢部に、ソ連のスパイは網の目のように張り巡らされていたので、マッカシーの指摘は正しかったのである。更に、日本に関連するもう一つの話題。最近、旧ソ連時代の秘密文章がロシアで公開され、有名な関東軍による列車爆発による張作霖謀殺(昭和3年)も、ソ連が仕組んだ罠であったとの報告も出た。世界の出来事、特に戦争関連は50〜60年で、やっとある程度の事実が見えてくる左証である。敗戦直後から、戦勝国から強制された価値観で、戦争の実相も知ろうとしないで、やたら「平和」を叫び、64年間も「日本が悪かった!」と謝罪ばかりする愚かさは救いようがない。これが日本の現実である。

『真昼の決闘』に戻る。老年になったゲリー・クーパーは、これまで演じた英雄とは少し違ったが、よく似合っており、2度目のアカデミー主演賞を得た。また、女優からモナコの王妃になったグレイス・ケリーの初主演作品で、クーパーの若い花嫁を演じた。下世話になるが、このクーパーをはじめとして、ケリーと共演した男優は全員が、彼女と恋に落ちたという。当時はクールビューティと最も話題になった女優であった。

 なお、「単純な筋で活劇中心の西部を舞台にした映画のファン(彼らは自分たちこそ正統派の西部劇ファンと言う)」に、この作品は好意的に受け止められていないだけでなく、活劇映画専門とも言えるハワード・ホークス監督と、やたらに強いが大根役者のジョン・ウエインの二人は、この作品を「素人に応援を頼み、最後に女性の助けでかろうじて悪者に勝つような主人公の映画は西部劇ではない」と否定している。彼らは7年後に似た設定で『リオ・ブラボー』を撮り、これがまた、西部劇の中でも傑作中の傑作になったのは面白い出来事である。この映画の中で、保安官に協力を申し出る町民に「素人に何ができるのか」と、ジョン・ウエインに言わせ、活劇映画を多く撮った監督の意地を見せたが、ホークスの作品群の中でも最高傑作になった。これも「ある種の気概」のなせる技で、やはり人間には自信や気概、「我こそは」という意気込みが必要と、ここでも感じる。実力に裏打ちされた自信が大切で、「はったりと口ばっかり」ではダメである。

 正統派(?)西部劇ファンから評価されなかったが、主題歌をタイトルに挿入する形式は、その後の西部劇で流行し始めたように、やはりジンネマンの着眼点は素晴らしかった!フランキー・レインの歌った『OK牧場の決闘』や、マリリン・モンローが歌った『帰らざる川』など、作品以上に人気の出たものは、すべてタイトルで主題歌が歌われていた。

ジンネマンはこの作品でアカデミー賞(作品賞と監督賞)は逸したものの、一躍注目され、次の年、『地上(ココ)より永遠(トワ)に』を撮って、一流監督の仲間入りを果たした。そして、前年逸した作品賞と監督賞に輝いた。これは米国陸軍内部の人種・階級差別などを赤裸々に告発した軍隊内部の小説が原作で、映画ではやや甘い部分もあったが、当時としては鋭く軍隊内部を描いた作品になった。すさまじいリンチ・いじめが扱われたので、前年に作られた『真空地帯』(山本薩夫監督)の米国版とも言われた。ここでもいじめを受けながら拳闘を止めると決心したモンゴメリー・クリフト扮するユダヤ人の青年が、自分の意志を貫く姿が主題になり、仲間で何かと彼をかばうフランク・シナトラ(アカデミー助演賞受賞)、見るからに憎々しげで、弱い者いじめ専門のアーネスト・ボーグナイン営倉係長、更に、自分の出世だけを考える中隊長や、彼に仕えながら、上手に世渡りを心得、その妻デボラ・カーと浮気をするバート・ランカスー曹長などが織りなす軍隊内部の話は多彩で上手に描けていた。バート・ランカスターとデボラ・カーの海辺のラブシーンでも有名になった作品である。

映画は先のハル・ノートを突き付けられた日本が、真珠湾攻撃に踏み切る直前のハワイに始まり、攻撃を受けた直後の混乱の中で、クリフトが仲間の兵士から撃たれて、あっけなく死亡。彼と束の間の関係があった娼婦のドナ・リード(アカデミー助演賞)とデボラ・カーが偶然、同じ船でそれぞれの思いを胸にハワイに別れを告げるところで終わる。

13回:平成21年12月号

フレッド・ジンネマンの作品を観る(2)

初期の傑作の後から、最後の作品『氷壁の女』までの軌跡

 

前号でフレッド・ジンネマン監督の描く「勇気・気概・信念」を扱った作品で、彼が一流監督と認められた初期の傑作2本を詳しく紹介した。彼はこの異色作の前に、昭和22年(1947年)に撮った『不思議な少年』と『山河遥かなり』、そして、昭和24年の『暴力行為』の3本が日本で公開されていたが、それほど話題にはならなかった。制作された5年後にわが国で公開された『山河遥かなり』だけを当時、私は観ている。これは戦後ドイツで戦災孤児になったわが子を母親が探す物語。戦災孤児への援助を米国に求めるユネスコの要請があり、主役の米国軍人は「善意溢れる」青年に描く条件があったらしいが、モンゴメリー・クリフトの好演もあり、今観ても宣伝色は感じず、爽やかなジンネマンらしい佳作になった。日本人好みの筋で、結末も巧く創られ、60年前の作品だが、今観ても古さは感じない(500円DVDにある)。脚本は多くの孤児の事例から組み立てられたらしく、アカデミー原作賞を取った。母親は信念をもって、わが子を探し続ける人物で、既に彼の描く主人公の特徴はそなえていた。孤児と母親はチェコ人が演じており、母親は有名なオペラ歌手が扮し、孤児に扮した子役のイヴァン・ヤンドルは、アカデミー特別賞をとった。しかし、それが共産圏の国では「西側に協力したことで」不運を招いたと、ジンネマンは自伝に記している。前回紹介した米国での「赤狩り」は強引なところはありながら、内容的には正しかったが、共産国の行うことは、あらゆる面で常軌を逸しており、スターリンや毛沢東らの何千万人の大虐殺だけでなく、このような児戯に類する悲劇も多数ある。しかし、世界中の知識層の多くが、これを理想のよう思い込み、日本では今も教育界やマスコミ界を支配してイデオロギーで、国が危うい状態にも平気である。残念ながら、それを指摘する私のような言論は、知識層からは否定される傾向にある(またもや脱線気味!)。

『不思議な少年』と『暴力行為』は未見であるが、前者は超能力をもった少年を中心にしたほのぼのとした作品らしく、後者は戦後に模範的市民として暮らす男が戦争中に裏切り行為をしていたことによる悲劇を描いて、ジンネマンらしい問題作品である。

 超話題作2本の後、彼が手掛けたのは70mmのTODD-AO の第1作。ロジャース/ハマーステインコンビの華やかなミュージカル『オクラホマ』〈1956年〉で、大阪では古いコマ劇場に特大のスクリーンが設置され上映された。確か、コマ劇場のこけら落としでなかったか、と記憶する。大画面とミュージカルの他愛ない話しでは、彼の得意な「勇気・気概・信念」と程遠く、ジンネマンらしさはまったく感じられない凡作になった。この作品が70mm映画の第1作で、その後はミュージカルや史劇でこの方式が流行になった。

  次の年、ジンネンマンは地味な『夜を逃れて』を発表した。舞台の映画化で、朝鮮戦争中に覚えた麻薬中毒患者の立ち直りの話で、その後ベトナム戦争後にいくつか似たような内容の作品が作られるほど鋭い主題の作品であった。ジンネマン自身、前作で超大型映画を撮ったので、標準画面に戻したかったらしいが、この地味で白黒の作品も、当時の20世紀フォックス社はシネスコの横長画面で撮るように要請したらしい。映画は評論家の評判も良く、私も感動したが、本国でも日本でも話題にもならず、今に至るまでビデオも放映もない。主演はその頃、人気が少し出たドン・マレーと渋い演技で魅せたエバー・マリー・セイントに、芸達者な脇役が映画を重厚なものにした。夜や室内が多いので、通常のDVDでなく、ハイビジョンのブルーレーイで発売して欲しい作品だが、無理であろう。なお、ジンネマンはマーロン・ブランド主演で、1950年に似たような戦後の復員兵の苦悩を描いた作品『男たち』を撮っているが、これは日本未公開である。

 1年後、実話に基づく地味な内容の『尼僧物語』を撮ったが、これはオードリー・ヘップバーンの主役で話題になった。当初、映画会社は尼僧になるための苦労話などに見向きもしなかったらしいが、ヘップバーンが「演じたい」と言うことから映画化が決まったというから、誠に彼女にとってもジンネマンにとっても、あるいは観客にとっても幸せなことであった。私は『ローマの休日』の彼女の魅力も忘れ難いが、理知的な顔が主人公にピッタリで、本作の彼女は更に素晴らしかった。後年、ユニセフ民間大使として活躍した彼女に相応しい役柄でもあり、この映画出演が関連したのかもしれない。

映画は恋人と別れ、尼僧になろうと決心した主人公が修道院に入る朝に始まる。彼女は医師である父親の仕事を通じて、アフリカに行きたい志が強く、当時の女性は簡単にアフリカに行けないので、唯一の手段である看護尼僧になろうと決心したらしい。このあたりの動機は映画では、あまり詳しく描かれていない欠点があるが、映画は尼僧になる厳しい修行を興味深く描いていくところがジンネマンらしい。種々の試練の後、彼女はアフリカに行き、現地でも希望が叶ったことで仕事を勢力的にしていくが、人間の本性を殺し神に仕える戒律に耐えられず、折からナチスドイツの侵略にあった母国・ベルギーの状況に還俗し、地下組織に入る決意をするところで映画が終わる。

 2年後オーストラリアで遊牧をしている夫婦と、その一人息子の日常的な話しを淡々と描いた『サンダウナーズ』が作られた。勇気は扱われなかったが、ある意味で庶民が信念や気概をもち自分たちの生活をしていく姿をほのぼの描き、感動させた作品である。デボラ・カーとロバート・ミッチャムが出演しているにも関わらず、これも本国でも日本でもあまり話題にならず、ビデオも放映も無いのは残念である。

 しばらくして、彼は風変わりな題名の『日曜日には鼠を殺せ』〈昭和38年(1963)〉を制作した。スペイン内乱でゲリラとして活躍した男が、今は引退してスペイン北部に近いフランスの寒村で余生を送っている。故郷に年老いた母親がおり、危篤状態と知らされ、執念深く彼を捕まえようとしている警察所長の罠かもしれないと知りながら、母親に会いに行く姿を描く渋い映画であった。男にグレゴリー・ペックが扮し、警察署長はアンソニー・クイン。彼に母親が「帰って来るな」という伝言を届ける司祭がオーマー・シャリフで、聖地ルルドも描かれる。地味な白黒の作品で、これも流行らなかったが、不思議な魅力をもつ作品で、勇気・気概・信念が中心になっていた。

  その3年後に発表した『わが命つきるとも』〈昭和41年(1966)〉は、彼の名声を更に高めた傑作。英国のヘンリー八世の離婚に関わる身勝手な宗教改革に、賛成しなかった有名な思想家で政治家のトマス・モアを描いた作品。国王に対して、自分は忠実な僕(しもべ)であるが、それ以前に神の僕であると信念を貫き通し死刑になるのを、実に感動的に格調高く描いた。人間洞察と政治批判は現代にも通じ、多くの部門でアカデミー賞を受賞し、彼の作品で信念を貫く主人公の集大成とも言える作品で、従来の普通の人の勇気ではなく、まさに超人の勇気を描いた。

映画の冒頭、テムズ河の薄靄の中で船が進む場面は、絶対に映画館の大型画面で観ないと魅力を味わえないし、導入部として卓越していた。

 この感動的な作品の次は7年後に、一変して犯罪者が主人公のサスペンス溢れる傑作『ジャッカルの日』を発表した。ドゴール暗殺未遂事件を主題に、非情で孤独な殺し屋を徹底的に描いた作品で、「失敗する結末」を誰もが知っていながら、最後まで観る者の手に汗を握らせた。前作のあまりにも偉大な歴史上の人物から殺し屋に代わった主人公であったが、信念をもって暗殺完遂を目指す男を描いた。ジンネマンが卓越した監督であることを、ここでも示した。最後までスリルに溢れ、凡庸な監督が最後の結末を伏せて公開する作品と雲泥の差である。なお、最近、ブルース・ウイリス主演の『ジャッカル』〈1997年〉は再映画化であるが、かなり違った内容らしい(未見)。

  4年後、『ジュリア』〈昭和52年(1977年)〉を撮った。米国の実在の女流作家であるリリーアン・ヘルマンの自伝による地味な作品ながら、評論家の評価は極めて高かった。彼女の精神的成長に強い影響を与えた幼友達のジュリアが、第二次世界大戦前夜のベルリンで地下運動を行っている。ユダヤ系のヘルマンがジュリアに活動資金を届ける役を引き受け実行するスリルを伴う話で、女性同志の友情を、ナチの脅威が迫ったドイツを舞台に描いた。オーストリア出身のジンネンマンは自身が過ごした、あるいは体験した場所や時代を重ねて力強く描き、主演のジェーン・ホンダとバネッサ・レッドグレーブも極めて良かった。

そして、5年後、75歳で『氷壁の女』を監督した。ショーン・コネリー扮する初老の叔父に、幼い頃から恋心をもっていた娘が一緒にアルプス登山に出かける。山岳案内人の若い男が絡み、よくある三角関係になるのだが、それがありきたりの展開をしないところがジンネンマンらしかった。「山で遭難して氷の中で冷凍保存された若者に、現在は老婆になっている当時の恋人が面会する」挿話と、娘が最後に案内人と伯父の二人が崖から落ちる姿を山麓から見ながら、それがどちらか判らない設定も巧く、私には彼らしい傑作と思われたが、前2作が素晴らし過ぎたせいか、世評は高くなかった。

失望した彼は平成9年(1997)亡くなるまで14年間沈黙した。何処かの国の巨匠が老醜を曝け出したのとは違って、私としては残念であるものの、彼らしいともいえる。彼は実生活でも信念の人であった。なお、この間に5年をかけて自伝を執筆し、抑制のとれた記述で、評判がよく邦訳も出た。

現在はもちろん、過去にもこのように素晴らしい監督は、彼以外にいないと考える。私は若い頃からジンネマンの作品を、このような視点で観続けてきた訳ではない。彼の作品は『オクラホマ』を除き、常に感動し、得るものが大きく、今、振り返ればそれが「勇気・気概・信念」という主題が一貫して流れていた結果であったと、気づいたのである。そして、現在こそ、多くの人に勧めたい。500円DVDで手に入るのは『山河遥かなり』『真昼の決闘』『地上より永遠に』の3本。他の作品は『夜を逃れて』『サンダウナーズ』以外はすべて手に入る。

 

14回:平成22年1月号

映画で観るアイデンティティ

自己同一性が主題の新・旧作品比較!

 

小さい頃、男の子は冒険物語の主人公や電車の運転手に、女の子はお姫様などに憧れ、自分がソレになった気分になって遊ぶ。成長するにつれ、現実の親や周囲の大人をみて、自分を意識し、能力や環境、あるいは年齢に応じて、少しずつ現実的な人物になっていこうと考えていく。こうして、「自分は自分、これからもこれで、周囲から受け入れられ、社会にとっても意味がある」思いが形成され、健全な成長を遂げていく。これが育たないと、神経症や心身症、あるいは問題行動が出て、治療が必要になる。この心の形成を「identity」とエリクソンが唱えた。この意味をすべて含んだような日本語を創るのは難しく、原語がそのまま使われる場合が多く、最近では一般にもしばしばアイデンティティと言う。

日本語に訳すのが難しい単語を原語で言えば、「更に理解されないのでは?」と私は考えるが、このような考えは異見。多くは原語を使って、誰もが判ったような顔をする現代日本である!本当は理解されないままのやり取りがかなり多いのだが・・・

アイデンティティとは「自分は他人も認める独自な存在で、時間的連続性と一貫性(以前も今も同じ)があり、それぞれが社会、学校・職場などの集団、家庭に所属し、そこで一体感をもつと共に、他の者から是認されている」と定義され、日本語で「自己同一性」と訳されている。よくできた日本語と考える。

『ボーン・アイデンティティ』3部作(2002〜2007年米国映画)

アイデンティティそのものずばりを題名に使い、かなり流行った推理活劇。嵐の夜、「いわくありげな男」が記憶を失って漂流しているのを、フランス漁船が救うところから映画は始まる。嵐と漁船と謎を秘めた男の登場する開巻は興味しんしん。彼は米国CIAの秘密諜報部員(殺し屋)で、ある任務を帯びていたのが、記憶を喪失し「自分は何者なのか?」「自分は何をしていたのか?」を探し始める。だからアイデンティティである。今はやりの言葉で言えば「自分探し」の過程で、何者かに常に付け狙われ、危険が次々と襲ってくる。こうして、評判になったためか、最初からその目的があったのか、3部作が創られ、少しずつ主人公の素性や何をしていたのかが判っていく。原作があるらしいが、ほとんど映画は創作されたものという。

画面は主人公の不安と危険を観客に味合わせるため、手持ちカメラで常に揺れており、それが主人公の不安を表していると褒める評もあるが、私はそのような手法は、映画本来のあり方ではないと思う。昔の恐怖を煽る映画は、例えば代表的なアンリ・ジョルジュ・クルーゾ監督の古典的名作『恐怖の報酬』(1952年制作フランス映画)では、画面に小細工などしない正攻法で、これ以上はないほどの恐怖を味わせてくれ、不快感は伴わなかった。最近の映画の恐怖はむやみに残酷な画面や、画面を揺らせ、映画の基本的手法で勝負していない。

昨今は一般化したとはいえ、アイデンティティなるカタカナは、多くの者が意味を明快に理解するものではなく、判ったとしても、ボーンは「骨」と思うので、「骨の同一性?なんじゃコリャ!」になる。実はボーンは「Bone」でなく「Bourne」で、これは「小川さん」というような名字らしい。だから「小川さんの自分探し」という意味で納得。しかし納得したからと安心すると、第2作は『ボーン・スプレマシー』。「supremacyってなに?」と再び英語の苦手な私は悲鳴を上げる!辞書には「最高、優秀、至上」とある。ならば「小川さんは最高!」かと解釈したが、本当は「主導権交代」という意味らしい。何となく主人公の超人的活躍から、「最高」と解釈したのだが、「これまで追われていたボーン君が反撃にでる」から交代になるらしい。今回も紆余曲折の末、やっと納得したのが、3作目は「アルティメイタム」と更に難しくなり、もはやお手上げ!と思うのだが、2作まで観たのだから、最後まで付き合わなければならない!そして、小川さんがついに自分の所属していた機関に引導を引き渡すから「ultimatum」は「最後通牒」と今回も納得。いやはやこのような推理活劇映画でも、最近は題名からして推理を働かさなければならないから「2倍楽しめる?」。私の英語力は一般平気的日本人程度だから、その私が判らない外国語は多くの方々も判らないと解釈し、昨年4月号にカタカナ題名への不満を書いたのだが・・・

この自分探しの活劇映画、特に3作目は場面が世界各地に飛ぶので、これも最近の映画の特徴で、目まぐるしく換わる場面に老化した頭はついていけない。昔の映画は場面が換わっても直ぐに何処かが判り、前の場面との関連もよく理解できたのだが・・いったいどうなっているのか?と思いながら、観続けていると、何となくある程度、話が進むにつれ「そうだったのか」と納得する次第。「本当に、アタマの勉強になります。ハイ!」。このあたりのことを、若い映画ファンに尋ねてみると、若い者でも「判らない」けれど、と先ず慰めてくれ(奥ゆかしい!)、最近はDVDで複数回観て「新たな発見のあるよう」な作り方をしている、ということであった。妙に納得。

ならば、一層、判りすぎる古い映画で自己同一性を主題にした作品を紹介しよう。

『心の旅路』(戦争中の1942年の米国映画―日本公開は戦後の昭和22年)

古典的名作で、「コールマン髭」という言葉が流行ったロナールド・コールマンと、グリア・ガースンという当時の美男美女の代表が共演した米国映画。共に出身は英国。私は半世紀も過ぎた頃にテレビ放映で観たのだが、意外に面白く、今回改めて500円DVDでの鑑賞も同じ印象であった。昔の映画の多くは、今、観るとテンポがゆっくりで、筋も紙芝居的なものが多いが、本作はそれを超えて訴えるものがある。主人公の真面目さが現代の直ぐにひっつき、別れて、後に残った子どもに不幸が訪れる場面ばかりを、映画ならず臨床でも診ている私には、この時代の規範意識や真面目さが懐かしく、ゆったりしたテンポまで心地よくなって、鑑賞後にほのぼのとした気持ちが湧きあがる。爪の垢を煎じて飲ませたい男女が現代は多過ぎる。

時は第一次世界大戦終結の日、英国のある地方の精神病院。コールマンは戦場で負傷し記憶喪失をしたまま入院している。戦争終結の喜びに沸く町にふらっと出かけ、そこで親切な踊り子(ガースン)に出会い、やがて結婚する。このあたりはご都合主義で、その後もこの映画はある意味で「映画だからこそ許せる」作為が大きいが、その前提を認めると、後は心地よく、よく練られた筋に感心する。かの名匠小津安二郎も「映画には必ず1か所は非常におかしなことがあり、それを認めないと成り立たない」と言っている!

こうして、結婚した二人は幸せな生活を送るが、この映画の善さはここから。幸せな生活をしていたコールマンが出張先で車の事故に遭い、再度記憶喪失になり、ガースンとの幸せな生活を忘れ、今度は戦争前の記憶が甦り、違った人生を歩み始める。それから元祖純愛そのものの話が展開し、彼らが永い心の旅を経て、コールマンは記憶を戻し、ガースンと「めでたしめでたし」で終わる。この映画こそ、コールマンが「自己同一性」を模索し続け、それをガースンが何とか助けようと、献身的な努力を重ねていく純愛物語で、原題は「Random Harvest(私の英語力では『意図せぬ収穫』ぐらいの訳)」だが、「心の旅路」の方が断然優れている。昔の映画は邦題に芸術的と言いたいものが多く、10年ばかり前に、ハリソン・フォード主演で再映画化された時、『心の旅』(1991年米国)と、この古典的名作の邦題に敬意を表したことに乾杯!

アイデンティティの消失に戸惑う主人公

更に自分のアイデンティティが判らなくなってくる状態に陥った主人公のやや古い外国映画を2本、最近の邦画を1本紹介する。最初は有名になった『ダンス・ウイズ・ウルブズ』(1990年米国映画)。ケビン・コスナーが出演し、アングロサクソンが「自然共存の原住民(インディアン)」に同化していく姿を描く。それまでの多くの西部劇で“悪人”役を引き受けていた原住民の方が人間らしいという「まともな事実を」描いた作品。私にすれば、やっと本当のところを描いた西部劇が出たと理性的には思ったが、幼い頃から「原住民性悪説」の西部劇を観続けた者には、「西部劇の醍醐味」は失われていた。最近、西部劇が流行らなくなったのは、このためもあるが、幼児期の「刷り込み」の強さに驚き、人生初期の教育が大切だと再認識した次第。

次はあまり知られていない秀作『愛は霧の彼方に』(1988年米国映画)。これは実話に基づく作品で、ルワンダでゴリラの保護活動にのめり込んだ女性学者が主役。話題になった『エイリアン』(1979年米国映画)で強い女性戦士になったシガニー・ウィーバーが扮したが、なかなかの力演。原題『Gorillas in Mist(霧の中のゴリラ)』を『愛は霧の彼方に』と意訳したのは、映画を観れば判らないでもないが、観る前には内容が想像しにくい。せっかくの邦題であるが、ちょっと拙いようにも感じる。絶滅の危機に瀕しているルワンダのマンテンゴリラの保護に情熱をもち、最終的には周囲と反目し、狂ったように自分の道を進むこの女性は、まさに人間としての「自己同一性」を見失い、ゴリラに同一化し、霧の中に消えていく。

ルワンダと言えば1994年に勃発した120万人以上の虐殺のあった国で、平成18年にわが国で公開された『ホテルルワンダ』(2004年南ア・英・伊合作)や翌年公開された『ルワンダの涙』(2005年英・独合作)でも描かれ、絶望的なアフリカの現状を表現していた。この映画でも密漁で生きる現地人、それを奨励している政府、白人(米国人)特有の正義感(しばしば周囲は困る)が混じて、彼女の悲劇が待ち受ける様子を描いており、このような状況が、その後の大虐殺に通じていくのか、と考えさせられる。いずれも西洋のアフリカ植民地化の後遺症だが、彼らは日本のように絶対に謝らないだけでなく、自分たちに都合のよい側に武器を売り殺戮を幇助し、映画まで撮って更に儲けていく。これも世界の現実。

アフリカから最後に日本の最新作へ。平成20年制作の『接吻』は、理由なき殺人を犯した犯人(豊川悦司)に自分を同一化し、狂ったように行動していく女性(小池栄子力演)に、弁護士が絡む緊張感溢れる作品で、最後の瞬間で、おぼろげながら題名の意味が判るのだが、全体は「観る者に解釈を委ねる」まさに現代的作品。その内容から監督・脚本(万田夫婦で分担)の姿勢まで、私に最も合わない現代的特徴に満ち溢れた作品ながら、これを面白く観たのは、まさに「同一化」の視点から観ていたためと思われる。インディアンに、ゴリラに、理由なき殺人犯に、それぞれ同一化していく主人公はいずれも面白い。

15回:平成22年2月号 歪んだ歴史教育

外国映画が問いかけるわが国の自虐史観―伊・米・中合作「ラストエンペラー」が教える歴史

 

『ラストエンペラー』(昭和62年(1987)伊・英・中共同作品)

イタリア人のレナルド・ベルトリッチ監督は、どちらか言えば難解な作品が多い。彼は私と同い年で、フランスのヌーベル・バーグが盛んな時代に思春期を迎え、強烈にこれに憧れ、その傾倒ぶりは、イタリア人ながらインタービュでイタリア語を使わずフランス語を話した。比較するのもおこがましいが、私は『死刑台のエレベーター』以外のヌーベル・バーグはすべて善さが判らなかったから、彼の映画を理解できなくて当然。彼は昨年3月号に紹介した難解な映画『アポロンの地獄』の監督バゾリーニの助監督をしていたから、難しい映画を撮るのは師匠譲りで、『暗殺のオペラ』『ラストタンゴ・イン・パリ』『シェリタリング・スカイ』『リトル・ブッダ』など、評論家筋の評価は高いが、私には「猫に小判」の作品群。

しかし、彼が英国・中国と組んで撮影した本作品は、紫禁城を映画の撮影に使えた画面は素晴らしく、彼の作品の中で最も判りやすい映画になった。主人公の波乱万丈の人生が何より映画的で、激動する世界の中で歴史的事実を正攻法で描いたからであろう。なお、音楽を担当し、俳優として重要人物(甘粕正彦)を演じたのが作曲家の坂本龍一で、アカデミー作曲賞を日本人では初めて受賞した。

主人公の愛新覚羅 溥儀(アイシンカクラ フギ)は、清朝の皇帝に1902年(明治41年)に数え年の3歳で即位し、辛亥革命で皇帝の位を追われ、その後、一般には日本の傀儡政権とされる満州国の皇帝についた。しかし、日本の敗戦後に、日本へ亡命しようとしてソ連の捕虜となり、東京裁判に出廷させられ、「日本に不利になるような偽証」をソ連側に強制された(映画では当然ながら描かれず)。旧ソ連はわが国に対する参戦自体が国際法違反であったが、敗戦後は更に横暴になり、停戦3日後(818日)に北方領土の占守島に不法襲撃を行い占拠し未だに返還しないだけでなく、武装解除した旧兵士を60余万人シベリヤの原野に拉致し、多数の死者を出すなど、無法の限りを尽くした。もちろん一切の謝罪も償いも、今に至るまでせず、戦争犯罪にも問われていない!この横暴な国は、共産中国が誕生(1949年)すると、同じ共産主義のよしみで溥儀の身柄を中国に移した。戦前・中・直後の中国は国民党が政府であったから、共産中国は溥儀を法律的に「戦犯」に問えないのに、9年間の収容所生活を強制した。共産主義の国にとって、国際法は存在しないに等しい。

映画は中国の収容所に溥儀が入れられる途中で自殺を図るところから始まり、出所した後、植物園の庭師として生活を送るまでを描いていく。実際には文化大革命の中、昭和42年(1967)に癌でその波乱万丈の生涯を61歳で終えるが、文革の嵐の中で「元皇帝であるから富裕階級」と解釈され、病院で癌の治療を適切に受けられず、死期を早めたと言われている(映画では描かれず)。毛沢東が権力維持のために行った愚かな政策である文革は、当初から少し頭を働かせると実態が判っていたのに、わが国の一流新聞のみ“賞賛”し続け、多くの知識人は騙された事実も、忘れてはならない。後に述べるが、歴史を知ることは、現代を知ることに通じ、それは未来に通じて行く。

「紫禁城の黄昏(Twilight in the Forbidden City)」

この映画は溥儀が収容所時代に、共産主義の思想教育を受けながら書いた、歪んだ自伝「わが半生」によっているが、映画の中でも重要な人物として描かれていた、ピーター・オトゥール扮する彼の家庭教師ジョンストンの、より客観的記述による「紫禁城の黄昏(Twilight in the Forbidden City)」も参考にされている。その上、伊・英の共同制作なのでかなり史実に忠実な描き方をしている。ジョンストンの著書は紫禁城での貴重な体験を後日(1934年)回想したもので、当時の中国の実情を知らせる重要資料になり、日本は東京裁判(昨年2月号に紹介)にこの著書を資料として提出したが、却下された。この事実からも、その内容が第一級資料であると証明されている。東京裁判は国際法も裁判形式もすべて無視した、連合国の復讐劇以外の何ものでもなかったので、ここで否定されたことは「正しさの証明」。反対に裁判で採り上げられたものは、溥儀の証言をはじめ、「戦勝国側の宣伝・虚構・でっち上げ」になる。

このジョンストンの著書は、戦前わが国で翻訳さていたが、戦後の東京裁判史観とでも言うべき「自虐史観」大好き知識人は、無視してきた。その結果、地味で学問的内容の本書は、戦後、陽の目を見なかったが、この映画が公開されると、知識人好みの某書店が出版した。何と原著の半分が「私的過ぎる」と削除され・・・・!

共産主義や独裁政権では、政府に好ましくない本は出版されないし、いわゆる焚書(好ましくない本を焼く)が行われるが、言論の自由が保障された日本で「自国に有利な部分」を「なぜ?削ったのか!」。これこそ戦後のわが国の知識層を覆う歪んだ歴史観を表す好例。映画では溥儀が追われて日本大使館に逃げ込み、自分の祖先の墳墓が国民党軍によって爆破され、盗掘されたのを知り、怒りを現し、自分の祖先の地(満州)に帰ろうと決意する場面がある。結果的にそれを日本が利用する。本書を東京裁判が認めなかったのは、戦前の日本を肯定し、中国に不利益になる箇所があった資料になるからで、65年たった今も「媚中/嫌日」視点から、日本の一流出版社が原著の半分を削除した。また、訳者の英語力の乏しさからか、中国におもねるためか、事実と正反対の誤訳までなされている箇所もあるという。実際に溥儀がジョンストンと共に、日本公使館に逃げ込んできた時は、日本側が当惑し、何とか関わらないように努めた。その後の国際情勢から日本がこれを利用するようになっていくのは、帝国主義時代では当然で、当時の国際常識では犯罪にならない。

すべての著作は著者の主観が入るので、出版するのはそれを了解し、読者も判って読むのが常識で、気に入らないなら出版しなければよいし、買わなければよい。一部を出版社が恣意的に削除するのは、出版文化の破壊であり、それを伝統ある出版社が行った。出版に関わる者が最低限にもつべき道徳すら、「媚中/嫌日」の社訓(?)の前には、いとも簡単に放棄する戦後日本。悲しい現実である。

幸い、この事実を早くから指摘した渡部昇一が監修した全訳が20年弱後の平成17年、別の出版社から出され、現在は文庫本にもなっている。

子どもの未来は現在・過去と連続する

親はわが子の未来を考え、教師は未来ある子どもを育て、小児科医は健全な子どもが育つお手伝いする。ただ、「子どもの未来」は「国の未来」が明るくなければ成り立たたないのを、多くの者は忘れているか、意識していない。そして、国の未来は過去に大きく影響されるという真実を考えない。わが国は自国の歴史を歪めて捉えるのが知識人や“一流”の証なので、自然に未来は否定的になり、暗黒になるのは当然。

法律ができてから、さすがに減って来たが、学校行事で国旗を揚げず、国歌も歌わないのが「民主的」と誤解している教師が今も多く、それを“一流”新聞も応援してきた。このため、子どもにとって通過儀礼になる大切な入学式や卒業式を厳粛に迎えるのは「悪」のようになり、流行り歌で自分たちが「面白おかしく」祝賀会を行った結果、子どもの健全な成長が歪められてきた歴史があると、私は考える。数年前からの成人式が荒れ始めたのは、まさに過去(学童・生徒時代)が未来(成人になる20歳)に影響を与える証明である。残念ながら、私見のような視点をもたない自治体は、ディスニーランドで成人式を行うとか、親同伴とか、ばかばかしい対応をするので、未来どころか現在も危ういのが現実!

繰り返す。子どもの未来を希望あるものにするには、彼らの過去や現在で何が大切なのかを考えなければならないだけでなく、国の過去(歴史)を適切に理解・解釈しなければならない。良識ある外国人は著作や映画で、冷静にわが国の過去をみている時代に、自分たちが悪しざまに過去を言挙げし、子どもの教育や未来を絶望的にしている日本!

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(平成9年公開の米国映画)

アイガー初登頂で有名な実在のオーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラーにブラウド・ビットが扮し、チベットで幼いダライ・ラマ14世と彼が過ごした7年間の事実を映画化した作品。後半で中国のチベット侵略が描かれ、事実にも関わらず中国政府は抗議をし、国内では上映禁止にしただけでなく、監督や主演者の入国まで永久禁止にした。誠に共産主義国らしい対応である。映画は主人公を独身から結婚していて妻とうまく行かなかったから辺境に出かけたように描いている嘘があるものの、それ以外は事実である。

自分の国を悪く描かれる作品は上映禁止、出演者や製作者を以降入国させないといった処置は共産主義国では当たり前だが、自分の国を貶め、悪く描きたい画策を一流出版社がするのは、世界広しと言えども、戦後のわが祖国・日本のみ。そのような国に未来があるのか?子どもが幸せになれるのか?この点からみると、共産中国の方が健康的にみえてくる不思議!

16回:平成22年3月号

  2本の映画に観る「日本人の宗教観」と「日本に入ったキリスト教」

 

    『コールド・フィーバー(Cold Fever)』(多国籍映画1995年公開)

 舞台はアイスランド。主演は日本人の永瀬正敏だが台詞は英語で、監督はアイスランド人という「変わり種」の多国籍映画。題名を直訳すれば「寒い熱」になるが「寒い国(アイスランド)での死者への熱い思い」という意味だと判るが、原語そのままのカタカナがいつものことながら残念。判りにくい題名ほど流行ると洋画の配給会社の職員が言う時代だから、仕方がないのかもしれないが、ほとんどの人が観ていないので、もう少し「観たくなる」題名にして欲しかったと、私はこの映画のために悔むことしきり。

 寒い東京の忙しい生活に疲れている平凡なサラリーマンの永瀬は、正月休みに太陽の降り注ぐ常夏の島(ハワイ)で過ごすのを楽しみに働いている。両親は先年赴任先のアイスランドで事故に遭い、亡くなっている。法事の時に祖父から「親の供養を現地に行って、しなければいけない」と言われ、「寒い東京から常夏のハワイ」と思っていた休暇を、正反対の厳寒のアイスランドに変えることになる。画面は最初のコセコセした東京の場面では4:3の通常画面だが、彼の乗った飛行機が自然豊かなアイスランドに向けて飛び立つと横に伸びて、シネマスコープになる滑り出し。これは米国で最初に公開された大型映画『これがシネラマだ!』(1952年)で使われた手法で、大画面の威力を見せ付けるから、劇場で観なければ実感が出ない。

10年前に日本人の地質学者の一行がアイスランドで事故に遭い、事故現場で行った遺族の日本的供養に共感した監督が、自国の古い精神文化との類似性を感じて、映画化を思い立ったという。脚本は共同者もいるが監督のオリジナル。

 彼は途中でアイスランドの妖怪に遭遇したり、泥棒に遭ったりしながら、僻地の事故現場まで、難行苦行を繰り広げ行き着くロードムービー。最後に一面氷の事故現場にたどり着き、お神酒をあげ、精霊流し(灯篭流し)のような供養を行なって静かに終わる。誠に寒い国での日本的風景。日本人なら心に染み入るが、アイスランド人も共感したから映画になったと言うべきだろう。

昭和42年に来日した著名な英国の歴史学者トインビーは、伊勢神宮に参拝して、千古の神宮林の繁る神域に立ち、「すべての宗教の根底になるものが伊勢神宮にある」と感じて、毛筆で記帳したのは知る人ぞ知る出来事。人間がもつ宗教心の根っこの部分は洋の東西を問わず同じと言えるかもしれない。にもかかわらず、イスラム教とキリスト教は十字軍から9・11テロまで、常に争ってきた!これをどのように考えるのか?西洋がキリスト教を受け入れる前のケルト文化に、今、静かな注目が集まっているのも、他を排除する一神教よりも、原始的な人間の琴線に触れる「自然崇拝的宗教心に関心が向いている証明では?」と考える。私は自然崇拝に留まった神道や、すべての宗教を受け入れる日本人にこそ、最も自然で「心やさしい」宗教を感じると共に、それに共感する欧米人もいることに安らぎを覚える。

次にわが国で一神教のキリスト教が受難に遭った時代を描いた秀作を紹介する。

   『沈黙』(日本映画昭和46年公開)

 17世紀の歴史文書に基づいてクリスチャン作家・遠藤周作が創作した話。江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人司祭(パードレ)と、彼を役人に売るキチジローは、キリストとユダの関係であり、司祭は信者の苦しみに「なぜ、神は『沈黙』するのか?」と常に苦しむ。世界中で13カ国語に翻訳され、英国の作家で映画が大好きなグレアム・グリーン(映画史に輝く有名な『第三の男』が代表)が「遠藤は20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」と言わしめたのを始め、戦後日本文学の代表作として高く評価されている。

監督の篠田正浩は映画化に際して、作者と共同で脚本を書き、映画で重要な役割を果たす撮影や音楽を世界的な宮川一夫と武満徹に頼み、第一級の作品にした。私は篠田の作品としては『はなれ瞽女おりん』(昭和52年)と本作品が代表作と考える。

 一神教のキリスト教が日本で広まったのは、戦国時代という混乱の時期であったことが重要で、この時代でなければ、広まらなかったのではないか、と考える。時代は異なるが、ローマは弾圧し続けたキリスト教を結果的に認め、それが瞬く間に広がった事実と、明治維新後、キリスト教が自由になっても、それほど信者は増加せず、現在でも2%前後であることも文化・民族差によると考える。ちなみに隣の韓国では30%になっている。八百万の神の穏やかな日本人に一神教が向かないのは当然で、仏教もインド仏教が中国で儒教を大きく取り入れ、更に日本に入ればかなり変化した事実を知る必要がある。

この穏やかな何ものも受け入れる日本で、キリスト教のみ厳しい弾圧を受けたのは、当時の西洋がキリスト教の宣教師を先頭に “平和的”に未開地に入り、次に軍隊を送り込み征服していく野望をもっていたのを、わが国の為政者は見抜いていたためもあれば、聖職者による種々の犯罪も大きな要因であった。なにしろ、西洋は地球の陸地の5%しか占めていないのに、帝国主義の終わり(第1次世界大戦直前)には84%を自らの支配下に置いた事実や、南米での有名なスペインの虐殺が、それを証明している。

学校では、このわが国の為政者の叡智や事実は教えず、日本は侵略した・野蛮だと極めて一部の恥部を拡大し教育し続けている。何度も言うが、世界中でこのような教育を行っているのは戦後日本のみ。だから、この『沈黙』でも、戦後教育的・表面的解釈をすれば、弾圧を「日本人は野蛮」という視点も可能になる。最近、この『沈黙』が米国で再映画化されると聞いたが、私はこの点を気にしている。中国が巧みに繰り広げる「日本叩き」の政治活動からみれば、“南京虐殺”と同じような“残虐非道な日本”的映画に仕上がる可能性もある。とにかく、60年以上の前の「虚構」を“真実”のごとく世界に発信している外国勢力に、何一つ抗議をしない政府と、それを煽り「影で応援している」と思われる“一流”新聞が存在するわが国の現実!

 映画の宣伝力は非常に強く、以前にも指摘したが、ハリウッドの果たしてきた役割は実に大きい。クリント・イーストウッドのように「硫黄島の戦い」を米国側(『父親たちの星条旗』)と日本側(『硫黄島からの手紙』)から別々に描く良心的な場合(共に2006年)もあるが、多くは“日本は悪い”式のものになる。真珠湾攻撃で、日本軍が民間人を攻撃したかのような嘘を描き、日本人は卑劣という印象を強くさせる事実無根の『パールハーバー』(2001年)や、中国・韓国が好んで制作する反日映画にならないことを祈りたい。

日本宗教を考える

 日本人のほとんどは、生後直ぐの宮参りとお正月の初詣をするが、これは日本の伝統的・根源的神道によっている。最近では結婚式をキリスト教で挙げる場合も多くなり、死ねばほとんどが仏教で葬られるように、種々雑多な宗教的行事を時と場によって、違和感無く実行する民族である。また、欧米人から「宗教は?」と尋ねられると、自嘲的に「無宗教」と答え、あきれられる時もある。欧米崇拝/劣等感の強い知識人は、わが国の伝統や歴史を否定的に捉え、キリスト教の信者でなくても、無意識に宗教尺度を「キリスト教的一神教」で、日本人の姿を「宗教心が無い/定見が無い」とこき下ろす。確かに一神教の価値判断からすれば、宗教心を失えば、道徳も規律も無くなり、無宗教は考えられないから、あれもこれもの「八百万の神」は低級な民度と評価されがち。しかし、先に紹介したように、日本人の宗教的感性に共感する欧米人もいれば、世界に誇れる道徳心や生き方を日本人はもっていた。考えようによっては、欧米人よりも日常生活に生かした宗教心をもっていたのだが、残念ながら過去形になる。最近は道徳も規範も失くした「戦後教育の優等生」的老若男女がわが国に多くなり過ぎた。

現代でもビルの屋上に鳥居が立てられ、占いが今も盛んで、道端のお地蔵さんには誰もが会釈をして通り過ぎるだけでなく、誰ともなく花を供えていく。お盆には大渋滞の中を郷里へ墓参りに出かけようとするのは、その名残。日曜日には「教会にやってくるように」と、うるさく、まるで催促をしているように鐘を打ち鳴らすキリスト教(林秀彦の言)や、一日に5回もお祈りを強いるイスラム教のような強制は不要になる。こうして、日常生活に宗教的なものが自然に入り、神道も仏教もキリスト教も、皆仲良く共存しているのをみれば、一神教的思考の宗教でなく「文化」ともいえよう。そして、節目になる年齢や季節特有の伝統行事は、宗教的なものの表れである。

 未開の時代、人類は「自然に畏れ」をもち、自然崇拝の宗教心をあらゆる地域でもったが、文明・文化が発展するにつれ、特に過酷な地域に住む民族は厳しい一神教に変化し、ユダヤ教から派生したキリスト教とイスラム教が世界的広がりをみせ、現在のテロ恐怖時代を出現させたのである。原始時代の宗教心を残しながら、高度な文化をもった日本は、知識人が言うように低級でも遅れているのでもなく、恵まれた自然環境によって、独自の宗教心を育て、同時に自然共存文化を生んだと考えたい。私見では「日の丸反対!国旗反対!」と教師が叫んで、学校の厳粛に行なわれる伝統行事である入学式や卒業式を行なわない愚行や、面倒なことはイヤと、お正月の祝いも省略する家庭の増加が、宗教教育の必要性を言わなければならない時代を出現させたとみる。その上、誤った歴史観で日本人は野蛮で好戦的と恥部のみ教え、神道や靖国神社を悪しざまに言うから、社会道徳も衰退する。この一事でも戦後教育が誤っているのは明白(前号参照)。

 個人的な欧米人との付き合いからになるが、彼らも日本で言う「叶わぬ時の神頼み」という諺が通用する程度の宗教心の者が多いが、一方でほとんどの人間は民族のいかんに関わらず、根底に宗教心を持っている。それは優劣あるものでなく、いわんや「日本がダメ」ではない。繰り返すが、自国の伝統や歴史を否定し続け、欧米の価値観を表面的に受け入れたことが、宗教教育を必要とまで言う時代を創ったと私は考える。